自分のものか他人のものかという片側だけが所有しているように見えるのは、誤解の代表のひとつ。 みんなのものでもあり、同時に、誰のものでもない。 誤解であって幻想ではない。 この世自体が、このような、あるようでない、ないようである、幻想。 大切なことは、その幻想のなか誤解せず、なぜ幻想が幻想として居られるのかを見つめることで、見えてくる。
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暗闇にいる人は、相手の容姿や言動について正しく指摘することはできない。
暗闇にいる人は、相手の容姿や言動について正しく指摘することはできない。
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あがってきた答えを論じ合っても答えは出ない。
あがってきた答えを論じ合っても答えは出ない。 その土台を各自が学び育むこと。 そこに改心と成長の種がある。 そして答えを持ち寄ること。
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独善のあらわれかたは、人それぞれ違う。
独善のあらわれかたは、人それぞれ違う。 人を束ねる人、人の中心になる人、を支える人、それぞれ。 自分の考えと他人の考えの配分の違いがある。 それが全体のためになるかを考えること。 良心に聞くこと。 世代の違いは、この三者のうちの、誰のための教育が大きいかによる。
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本音が伝わるとは、本質が伝わる。
本音が伝わるとは、本質が伝わる。 人をだまくらかすのが本質なら、それが伝わり、うまくいく。 向く向かないは、そこにもある。
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100の失敗はない。
100の失敗はない。 100%の成功もない。 失敗は反省させ成長させ発見させ成功させる。 成功は慢心させて次の失敗を与える。 失敗を恐れたら生きるのサイクルは止まる。 成功を目指さなくても止まる。 両方のバランス取りと規模を進化成長することが生きること。
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過去があったから生かされた。
過去があったから生かされた。 だがそれは過去が良い悪いではない。 良い栄光の過去も、悪い忌まわしい過去も、どちらであろうとも、今は今とこれからしかない。 今ここで、どのようなありかたで、未来の起点とするか。それしかない。 過去を求め、または恐れ、それを未来に見れば、どちらも生きては行けない。
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想像力がないと、人を傷つけることがわからないし、そもそも大したことだと思えない。
想像力がないと、人を傷つけることがわからないし、そもそも大したことだと思えない。 大ごとになるとは思わない。 だが必要な苦難、乗り越えるべき障害は、想像力なければ乗り越えられない。 どちらも表向き人は傷つくが、前向きに受け入れて成長するか、自分のことだけ考えて逃げて成長をやめるか。 意味がまるで違う。
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たしかにお金は幻想で、無限に増やせる数字かもしれない。
たしかにお金は幻想で、無限に増やせる数字かもしれない。 だがそれを作るために時間をかけて働いた人たちがいる。 そしてそれを吸い寄せるように、時間と働きを幻想のようにして、吸い寄せる者にとっては、たしかにお金は幻想以外の何者でもない。 だがそれは働いた人たちへの敬意や理解はない。 それはたんに、無知と無自覚でしかない。
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誰かの応援がなくても人は頑張れる。
誰かの応援がなくても人は頑張れる。 誰かのためだから。 その誰かに応援を求めれば見返りを求める。 それは誰のためにもならない。
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謙虚さとは、自分だけは大丈夫などと思わないこと。
謙虚さとは、自分だけは大丈夫などと思わないこと。
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休息が取れるという交換条件は不釣り合いすぎる。
休息が取れるという交換条件は不釣り合いすぎる。 半死半生のものが半死半生であるための眠りにしかならない。
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早い話が、その人の正道を外させれば、自信を失わせ、従わせられる。
早い話が、その人の正道を外させれば、自信を失わせ、従わせられる。
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想定とは、想像するだけではない。
想定とは、想像するだけではない。 それにたいして災厄を未然に防ぐや最小限にするや最善に向けるかについて全力で事に当たることを覚悟すること。
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苦も楽も酸いも甘いも山も谷も全力で飛び込み取り組み受け入れよ。
苦も楽も酸いも甘いも山も谷も全力で飛び込み取り組み受け入れよ。 期待と落胆の落差や想定外の因果応報や陰陽のどちらに慟哭することはない。 どんな物事も虚無であり同一と捉えることはできない、なぜなら人はそのように作られてはいない。 それなのに虚無を選択することは、これもまた選り好みとなり、特異な道を求め、それを誇大にする。 先祖への虚無、目の前の仕事への虚無。 そんな誇大な者を相手にすれば、ひれ伏すしかないように思える。 だがそんな相手と同一の魂が自分の内にある。 どのような相手としても。 そのまわりを囲む自我の戯れの悲喜交々を想うから慈悲となる。 過去の失敗も学びとなるから美となるわけではない。醜さはどうあれ醜さ。美しさも。 その一切合切を 飲み込み、発酵さす。母親の子宮のように。それをらをも産み出したように。 それが母性。太陽のような愛。 そのように艱難辛苦を飲みこみ醸した強大な力を、見返りを求めず、たむける。 それが奇跡の力を持たなくて何なのか。 愛を手向けることは暴力より力弱く見えるのは、愛の内にはそんな強大さがあることを知らないから。