苦も楽も酸いも甘いも山も谷も全力で飛び込み取り組み受け入れよ。
期待と落胆の落差や想定外の因果応報や陰陽のどちらに慟哭することはない。
どんな物事も虚無であり同一と捉えることはできない、なぜなら人はそのように作られてはいない。
それなのに虚無を選択することは、これもまた選り好みとなり、特異な道を求め、それを誇大にする。
先祖への虚無、目の前の仕事への虚無。
そんな誇大な者を相手にすれば、ひれ伏すしかないように思える。
だがそんな相手と同一の魂が自分の内にある。
どのような相手としても。
そのまわりを囲む自我の戯れの悲喜交々を想うから慈悲となる。
過去の失敗も学びとなるから美となるわけではない。醜さはどうあれ醜さ。美しさも。
その一切合切を 飲み込み、発酵さす。母親の子宮のように。それをらをも産み出したように。
それが母性。太陽のような愛。
そのように艱難辛苦を飲みこみ醸した強大な力を、見返りを求めず、たむける。
それが奇跡の力を持たなくて何なのか。
愛を手向けることは暴力より力弱く見えるのは、愛の内にはそんな強大さがあることを知らないから。