ご縁とは、一対一でも一対多でもない。 多対多、多対一である。 一存で切った張ったはできない。
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今の現状を認めて受け入れて満足したら、昔の方が良かった、もっと良い未来があるはずとなる。
今の現状を認めて受け入れて満足したら、昔の方が良かった、もっと良い未来があるはずとなる。 このどちらも断つようで、そんな心境にはなれない、なりたくない、というとき。 今は昔と共にあり、同じように未来も今と共にある。 そんな今の現状を認めて受け入れること。 それが過去と未来の良いことを繋ぎ生み出す、それが何であれ。 良いことが増えてもいつかは消える。 そのことを呼吸すること。 恐れず感謝して。 呼吸は最後の日へと歩ませる足跡であり、新たな旅立ちに繋がることでもある。
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戻りたいというのは執着。
戻りたいというのは執着。 変わりたいというのは成長。 だが、際限なく戻りたいのなら成長。 際限なく変わりたいのなら執着。
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勝てば、先見の明だ思い切りの勇気だと評される。
勝てば、先見の明だ思い切りの勇気だと評される。 負ければ、詐欺目的だ考え無しの愚かさだと評される。 勝ったものには嫉妬し引け目を感じ、負けたものを責め立てて見下す。 これは、そこに何があったかを、見誤る。 内側にいて、はじめてわかることがある。 それを見ようとしないなら、内側にいても、わからない。 見ようとするなら、内側にいてもなお隠されていることさえも、見通すことになる。 全ては自分の姿勢の問題。
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反省、教訓、学びは、自分への戒めとせよ。
反省、教訓、学びは、自分への戒めとせよ。 他者への戒めとして使えば、自分への戒めを忘れ、なにも反省できておらず、教訓は生かされず、学びなおしとなる。 すべての反省、教訓、学びは、自分に気づくためにある。
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相手に反省点があっても、反省するのは本人しかできない。
相手に反省点があっても、反省するのは本人しかできない。 なぜなら、他者に反省を強制するのは、その反省すべき点の裏にある長所、理由、目的、学びが見えていない。 そこを見ていれば相手は気づき反省し感謝もする。 長所短所、善悪は、表裏一体。 また、その混在もする。 大切なのは活かし方、見分け方。 それを良心で行うこと。
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反省点を的確に表現できると、悔いなく、よく眠れる。
反省点を的確に表現できると、悔いなく、よく眠れる。 実践して、反映させるため、翌朝の活力も出る。 これがもし願望の羅列なら、夢は多く見れるかもしれないが、あとになって悔いは残り、眠れない日々が来ることになる。 反省点を見つめるために、いつも良心を忘れてはいけない。 良心が咎めるときは、勇気でそこから去ること。 罵られ、後ろ指をさされ、悪評が立とうとも、そんな悪口の彼らは、あなたを守りはしない、愛しもしない。 数日経てば、あなたのことを忘れて、自分の損得という願望で頭が一杯になるだけだ。 だから気にせず去るといい。
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白金の、すすきが白む、寂しさよ、年が果てても、次も逢えるか。
白金の、すすきが白む、寂しさよ、年が果てても、次も逢えるか。 若草に、梅に桜に、空の花、赤い山肌、次が白金。 希望のときまで多くの変化があるから、焦ってはならない。 かつ希望は常に持つこと、なぜならそれは変化の先にあるものを想定するにすぎないから。 だから必ず手元に来るとも決めつけないこと。 そのときその場に自分がいないかもしれない。 変化の流れが変わったり邪魔してしまうかもしれない。 それはすべて自分のためだけを願う狭い愚かさから取った、焦った行動による結果だから。 善い自然の変化はあるとよいし、悪い自我の変化はないとよい。
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つらいときは、もしそれを忘れ去ったらと仮定して、そこに残る平安に焦点に定めてみる。
つらいときは、もしそれを忘れ去ったらと仮定して、そこに残る平安に焦点に定めてみる。 そしてそれに感謝する。 そして、そこから、つらさを見つめて、なにができるかを、自分本位ではなく、相手の立場で考えてみる。
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愛とは、はじめからそこにあるのにいつしか見失った永遠を再び見つけて感謝するもの。
愛とは、はじめからそこにあるのにいつしか見失った永遠を再び見つけて感謝するもの。 それが来る前から去った後まで永遠にそこにあるものを。 有限の愛というものはない。
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たいてい、どんなことも、はじめはなんとなく参加します。
たいてい、どんなことも、はじめはなんとなく参加します。 知識、知恵、やる気、割く時間、これらのリソースのどれがなんとなくなのかは別としてです。 このとき、2つの道にわかれるのだと思います。 A、誰かがなんとかしてくれるのを待つ。B、自分から動く。 AでもBでも、ひとまず続く。 次第に本気になる。なんでもそうだけど、本気になれば、数々の試練や学びがやってきます。 ここで2つの道にわかれます。 A、逃げる。B、立ち向かう。 Bを選択したなら、続きます。 うまくいきはじめるが、疑う心も出て来ます。先輩や上司からの叱咤激励を受け、頑張り続ける。 すると2つの道にわかれます。 A、良心が痛むので去る。B、それは良心ではなく言い訳だと考えて残る。 Bなら続ける。 ただし、ここからは良心ではなく、先輩や上司の指導が優先となります。 続けるということは、長い道のりになります。 その道中、どんな姿勢を取るのか。 これも2つの道があります。 A、頑張っているフリをする。B、ほんとうに頑張る。 やがて、うまくいっていたことが、うまくいかなります。 いつ、どのくらいの規模で、その時がやってくるかは、個別差があります。 立場や実績、実力、向き不向き、人や場所の環境、根本的な考え方、色々。 ある人はうまくいっているが、ある人はうまくいっていない。 ある地域では勝っているが、ある地域では大敗する。 どれか1つではなくて、必ず、まざってます。 吉凶混在、差別化が、大きく生まれて行く時期です。 仲間内でも起こるし、敵味方の間でも起こるし、社会と自分たちとの間でも起こります。 いよいよ全体で見て、自分たちにとって、勝ち戦か、負け戦か、見えて来ます。 そしてやってくる、2つの道。 A、勝利。B、敗北。 さいごに、敗北者にのみ、2つの道があります。 A、その経験に感謝せず、過去から学ばず成長しない。 B、その経験に感謝し、過去に学び成長する。 じつは長い目で見れば誰でも最後は敗北します。 知恵がある人は、そうなる前に戦略的に早期撤退します。 だけどほとんどの人は、良心よりも先輩よりも上司の指導が優先となっています。 つまりほとんどの人は、撤退せずに最後まで残り続ける。 だけど知恵があって、そうではない立場にある人も、その事実がわかっておらず、その事態を生み出した張本人。 つまりは同じことです。 ここまでの選択肢には共通点があります。 AはAの側。BはBの側。 言ってみれば、Aには良心がなく、Bには良心がある。 ただし唯一例外の選択肢がある。それは、 A、良心が痛むので去る。B、それは良心ではなく言い訳だと考えて残る。 良心ではなく、先輩や上司の指導が優先となった。 そういう事態を生み出したという点では、部下も上司も、後輩も先輩も、同じこと。 ということはつまり、ここにじつは隠れた2つの道があったのだと言えるかもしれません。 いかに成功した先輩や上司でも、完璧じゃない。 彼らは宇宙の大王ではない。 嘘をついて隠して、都合よく見せていることが、たくさんある。 ・成功したときは大げさに見せる。 ・失敗したことは嘘をついて隠して見せようとしない。 ・その人生を長い目で見ればアップダウンのジグザグの平行線。 ・ジグザグの下がるほうを隠して右肩上がりに見せる。 ・ジグザグの平行線を保つために、焼畑農業のようなことをしている。 ・価値を生むのではなく、人を巻き込むことで、金銭を得る。 ・人を巻き込むために、自分以外の道を侮辱する。 ・来るものを両手で迎え、去る者の背中を撃つ。 ・力ある者を助け、力ない者を切り離す。 ・周囲を弱めて(力を奪って)自分を生かす。 ・仕事をこなす、雇用を嫌う。 ということがわかってきます。 ほんとうに実質的に長い目で見て右肩上がりで成功している人たちは、 ・目の前の仕事を愛している。 ・どの仕事も敬う。 ・自分の仕事を継続している。 ・周囲を生かして自分を生かす。 ・仕事を生む、雇用を生む。 ということもわかってきます。 そしてこの大きな2つの違いは、自己中心的か、全体のことを考えているか。 良心から来るふるまいかどうかは、とても小さなことに思えます。 身振り手振り、色々ある。 だが、どれだけ成功して、富を得ていても、その裏で隠していることがあります。 それが身振り手振りに出て来る。 だから目の前にある派手さに騙されてはいけない。 いつでも、自分の良心に照らし合わせることが大切なのではないかという確信が、自然と湧いて来ます。 でも、誰かのせいにするのだけは、どんな立場であろうと、良心から外れていると思います。 後輩や部下が自己中心的なら、先輩や上司のことを見抜けない。 また、自己中心的な先輩や上司も、そんな事態を生み出していることに気づけない。 人は完璧ではない。 だからこそ失敗や敗戦には、そんな自分を成長させるための鍵がある。 陰がなければ陽もない。 影と光はワンセット。 たとえば日本の第二次世界大戦は、大半は国内ムードも良かったといいます。 最後の1年ほどだけ、敗戦色が出始めたときから、厳しくなっていったといいます。 言論統制、思想強制、取り締まり。 良心以外のものが優先されはじめた。 これは組織だてた仕事でも似たことが起こります。 しかし、それでも戦わなければ払えない何かや、守れない何かがあったのも事実です。 ですから善悪や、良心の有無は、簡単に分けられない。 様々な要因がチェインリアクションとなって、避けられようもなかった道でもあります。 誰か個人が悪くて、誰か個人が正しい、という考え方もまた、自己中心的かと思います。 大切なことは、今どの姿勢を持ち、次に活かすか。 それまで頑張って来た自分に感謝して、かつ失敗は反省する。 敵も味方もお互い完璧ではないなか、それを見つけるため、懸命に生きて来た。 それはみんな同じこと。 だから、 ・敗者の背中に石を投げるようなことをしてはいけない。 ・敗者を敬わず勝者だけを正義だと思ってはいけない。 ・それは良心を見失っている。 ・それは敗者も勝者も同じ。 と言えないでしょうか。 良心を見失えば、そんな自分に学ばせるため、いつかまた、こんな道をたどることになる。 そのとき過去の振る舞いを反省しても、なにもかもが遅いこともある。 生き物として、生き抜くために、そうはならないために学ぶことが大切なのではと思います。 ・なぜ、目の前のきらびやかや富や成功に魅了されると、良心を見失うのか。 ・なぜ、人生において、富や成功は重要ではないのか。 ・なぜ、目先の人々にたいする良心が大切なのか。 それにたいする小さな答えの一つとして、こういうことが言えなくもない、と思います。 そしていわゆる成功者の、以下のような言葉は、その成功者一人のみの価値観に狭められた、真っ赤な嘘であると。 ・その良心が本物かどうかは、富や成功に比例する。 ・人生において、良心は二の次、富や成功が第一である。 ・家族を犠牲にしてでも成功せよ。 ・目先の幸せより未来の幸せを優先せよ。 ・隣人愛よりも全体愛を考えよ。 成功者という一人だけの人生を長い目で見て成功させたところで、一人分でしかありません。 それは長い目ではなく、塵や埃にすぎない。 全体を長い目で見て成功させるなら、それは良心が鍵になると言えないだろうか。 それは、今この瞬間の、小さな幸せが、どれだけ広く渡っているか。 王様のようでありたい人はいる。王様のようにふるまう人もいる。 だがほんとうの王様なら、そういうことを考えるのではないだろうか。 自分自身、成功を目指して、いろいろチャレンジし、向き不向きもわかります。 成功者か、失敗者か、どちらでも良いです、それは重要ではない。 その過程で、おおきな失敗もします。 自称成功者と、本当の意味での成功者に、囲まれる環境で、彼らの言動を比較できます。 その両方から学び実践して、何が結果が出たのか、出なかったのかも、比較できます。 そのうえでの雑感を、こうして、まとめてみることもできます。 そして、結局は良心が大切なのだと。 人生はそうして良心と向き合う、経験を積み重ねていく、成長し、自他すべての内側にある大切なものに気づく。 そんなことの連続なのだと思います。 日々、新たな気づきと学びと成長、そして発展を目指して、頑張ってゆきたいです。
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目の前の小さな奇跡を見失うほど、大きな幻想を夢見る。
目の前の小さな奇跡を見失うほど、大きな幻想を夢見る。
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自分の良心を信じられないわけは、ふたつ。
自分の良心を信じられないわけは、ふたつ。 ひとつ、良心と自我の違いがわからない。 ふたつ、自分以外の誰かの良心を真似ている。
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100好きなものは、あるか。
100好きなものは、あるか。 まずたいてい、好きな部分と嫌いな部分が混じっている。 自分の好き嫌いを自覚して、好きは伸ばして、嫌いは克服しよう。 好きが得意で、嫌いが苦手なら、自分を活かせるから、それで生きていける。 これが逆に、好きが苦手で、嫌いが得意なら、生きていくのは難しい。 だがそれは、誤解している。 好きで得意なことと、嫌いで苦手なことを、きちんと自覚しておらず、分けて考えられていない。 嫌いで苦手なことから逃げていれば、そうなる。 好きな料理でも、味付けに不足や未熟があれば、食べたくはならない。 そこで不足や未熟、つまり嫌いや苦手を克服する。 すると、どちらも自覚できて、分けて考えられる。 塩と砂糖の絶妙な使い分けもできる。 不要ではなく、必要だが、使い分けが必要。 そうした絶妙な料理は、嫌いなことも必要だったとわかり、絶妙であれば好きだったとわかり、嫌いも好きに変える。 その本来の魅力と価値に気づいて知る、つまり得意になる。 かつそれが好きになる。 何よりそれは人に認められる。 認められると人はそれが好きになる。 そして、自分では嫌いだと思っているその仕事を、他者は羨ましがることもある。 他者にはないものを、自分は持っている。 その価値を落とさないようにするのが、自分の活かしどころであり、そのための勉強のしどころになる。 つまり、人が好きで得意になれるものには、2つある。 1つは、消費者として好きなもの。 あと1つは、与える側として好きなもの。
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家族を持てば自動的に強くなるのではない。
家族を持てば自動的に強くなるのではない。 愛着はより強くなり、そこからほんとうの愛を生きるまでの試練を乗り越えて成長するから強くなる。