無駄に大きな音を立てるのは、何をしているか分かっていない。 足音、扉の音、物を置く音、すべては距離感。 何かをすると、何かとの距離が必ず変わる。 何をしているかを見て、距離を変えて、触れてゆく。 そこに思いやりと、理解がある。
投稿者: klassfunktion
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他者の言葉に、ある時は感心し、ある時は疑問を感じ、あるときは良心に反する。
他者の言葉に、ある時は感心し、ある時は疑問を感じ、あるときは良心に反する。 他者は完璧ではない。 頼りたいなら、自分の良心に。 自分もまた完璧ではないが、少なくとも踏みとどまる分別はつけられる。 他者の良心なき言動を踏みとどまらせないのは、追従する者の賛同や後押しや依存。
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未経験者の想像が正しい時は、経験者の答えと合致しているときだけである。
未経験者の想像が正しい時は、経験者の答えと合致しているときだけである。 その経験が成功失敗に関わらず、真実や事実に通じていさえすれば。
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すべての発明は、まず大きな苦労があり、それを、解決するために生み出された。
すべての発明は、まず大きな苦労があり、それを、解決するために生み出された。 古くなり使えなくなった発明をバカにしてはならない。 その大きな苦労が解決されて役目を果たしたからこそ、新しい今がある。
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適性や向き不向きは、与えられるものを選ぶ受け身の狭い思考。
適性や向き不向きは、与えられるものを選ぶ受け身の狭い思考。 貢献したい与えたい、と自分から生み出し作るなら、ただ実践するだけのこと。
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お金を数字としてしか見ないなどの、偏って歪んだ受け止め方、そこから来る間違った比較や考え方。
お金を数字としてしか見ないなどの、偏って歪んだ受け止め方、そこから来る間違った比較や考え方。 自分を内省せず、自分の姿を見ず、他者や世界を責めて恐怖する。 そんなことのために生きているのではない。 それによって生かされているのでもない。 そんなことばかりで心を埋め尽くす間にも、貴重な人生の時間は過ぎ去って行く。 死なないと思っているから、他者や世界を責めて恐怖する。 その根っこには、自他を分断する、自我がある。 お金も、正しい受け止め方も、そこから来る正しい比較や考え方も、全てはいつ死ぬかもからない身を有り難く感謝して、真剣に生きることから結果的に集まって来る。 分断はそれらを拒み続ける。
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間違った比較は、間違った理解や判断につながる。
間違った比較は、間違った理解や判断につながる。 ほとんどの人が、間違った比較をしている。 まず、正しい比較をしているか、自問自答すること。 その比較の目的、方法、材料、その他もろもろ。 比較対象に失敗や過ちを含めても、比較はできない。 なぜならどんなことにも失敗や過ちはある。 そこから学ぶしかない。 そして比較にすら必ず失敗や過ちがある。 それは失敗や過ちを比較対象にすること。 比較することよりも、失敗や過ちから学ぶこと。 過去を責めたり恨むのではなく、今を最前で生きようとすること。 成長すること。 その間違った比較を手放すことで、今ある幸せに気づく。 比較しても幸せには気づけない、なぜなら幸せは比較しないときにだけ得られるものだから。 比較は不満からしか生まれないから。 幸せを忘れなければできない行為だから。 それなのに比較で幸せをつかもうとする人は、まず人生の責任や評価を、他者においている。 それが比較を生む。 その比較の世界でしか幸せを探すしかなくなる。 そして探しても見つからず、終わりなき無限の悪心で、他者を責めて、世界を怖がり、勇気の一つも出せない。 だから失敗も間違いもできず、新たな道の取り組みもできず、成長できない。 その根源は自他を分断させる自我にある。 自分のことだけ考えているから、周囲の力に気づけない。 そして自分以外を、自分の都合に良いか悪いかの、敵か味方でしか見ない。 養分を拒み、閉じこもる殻を好む、種子のようなもの。 成長は幸せのひとつ。 成長をとめてはならない。 比較は成長を生まない。 一時的には強くなれても、それは力の比較でしかない。 力を弱めたところに生きる道が転がっていることなど、しょっちゅうある。 だが力を夢見て、周囲を殺して行く。 その先にあるものに手が届かない。 そんな箱庭の先にあるのが成長。 それは個々の力にとどまらないこと。 殻を破り、間違いから卒業すること。 それを終わらせ、平安をもたらすこと。
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受け入れ赦す母性は、始まりがあっても終わりはない。
受け入れ赦す母性は、始まりがあっても終わりはない。 子供を受け入れたら、次は世界を受け入れる。 なにより、まず自分を受け入れることから。 自分を受け入れ赦す者は、世界を受け入れ赦す。
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例外的な境遇の、例外的な選択をした者は、例外的であり参考にはならない。
例外的な境遇の、例外的な選択をした者は、例外的であり参考にはならない。 その例外には通常では折り合えない苦悶や苦渋があり、本人が自分に正しいと思い込ませる強引な自己都合の理屈が隠れていて、その後悔から目をそらさせていることが多い。 参考になるのは一般例のみ。 もし例外的なことを考えるのなら、自分の良心で、全体にとっての最善を考え、その行動を尽くすこと。 他者の例外を盾に、怠けてはならない。 またその言葉に良心をゆだねてはならない。
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真面目すぎても、不真面目すぎても、かたくなで融通がきかない偏った者。
真面目すぎても、不真面目すぎても、かたくなで融通がきかない偏った者。 どんなことも、相反することの中間にいることが正しい歩みを選ばせる。
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人生に無責任なほど、言い逃れ、記憶違い、誤解が多くなる。
人生に無責任なほど、言い逃れ、記憶違い、誤解が多くなる。 直視を逃れ、迷い、裏から覗き込むしかしないために。
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失敗を知らないものは、偏った道や、偏った理想しか話せない。
失敗を知らないものは、偏った道や、偏った理想しか話せない。
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自分の性質に合う仕事や環境を、見つけようとしてはならない。
自分の性質に合う仕事や環境を、見つけようとしてはならない。 どんな仕事や環境においても自分の性質を活かして貢献しようと努めること。 自分の性質をこうだと決めつけないこと。 どんなことにも最善を尽くそうと努めること。 すると自分でも気づいていない性質が活性化され、効果的であれば評価され、さらに求められることになる。 そうなったときはじめて自分の性質を活かせる道に気がつく。 だがまだ終わりではないから、引き続き決めつけず、最善を尽くそうと努めること。 自分から可能性の枠を狭めてはならない。 自分の正体や物語の全貌は最後まで見たければ、わからない。 見るには、表すこと。 表すには、つぼみではいけない。 恐れず挑戦すること。
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改善とは、現状を変えることではない。
改善とは、現状を変えることではない。 現状を素直に受け入れ、そこで最善を尽くして、その結果として現状もまた変わりゆくこと。 泥水をすくう器は。いくら変えても泥水のまま。 新鮮な水で器を洗い清めて、器を満たす。 そしてそれを循環し続けること。
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自我のために戦うことは、もうよそう。
自我のために戦うことは、もうよそう。 その寂しさ、悲しみ、怒り、不満、飢え。 そうではなく、良心のためにできる行動をしよう。 それは戦いではなく、誰かを助ける。 愛し、いたわる。 そのような存在として変容していく。 そうすればその自我をかきたてている周囲もまた、その姿を見て、変わって行くだろう。 どのように変わるかは、目撃して行くしかない。 その目撃からも、自我のための戦いとならないように、いま伝えたことと同じことを繰り返し伝えよう。