この世界に真実を現すものはない。 しかしそんな世界に触れない、自分自身の中にある真実に気づくことができる。 それをたよりに生きるとき、真実は生まれて伝わる。 それは現れる前に伝わり、そして消える。 その結果がこの世界に形を残す、という順番。
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問題を生むこととは、そうならないよう正されていたことを、別なことへの行為のために、見失い、捨てること。
問題を生むこととは、そうならないよう正されていたことを、別なことへの行為のために、見失い、捨てること。
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愚痴や不満や無理解を口にする者は、今そこよりも先に成長することはない。
愚痴や不満や無理解を口にする者は、今そこよりも先に成長することはない。 上か下かを見て忙しく、媚びるか威圧するかに忙しく、その場に固執し慢心する。
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来世はないと思って生きよう。
来世はないと思って生きよう。 その愛する全てに、二度も会うなら、愛を尽くせていないのだから。
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両親、祖父母、先祖にあったような、子供、孫、子孫にあってほしいような、変わらぬ普遍の大切さを、自身が生きる。
両親、祖父母、先祖にあったような、子供、孫、子孫にあってほしいような、変わらぬ普遍の大切さを、自身が生きる。 するとそれは肉親家族を越えてすら、人を癒すだろう。
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この世の真実や秘密や仕組みを知っても、それはみんなのもの、思い通りにはできない。
この世の真実や秘密や仕組みを知っても、それはみんなのもの、思い通りにはできない。 しかし決めつけられてもいない。 その流れの中想いに添えるよう、自他の我欲や偏見を生きず、自分の中にある中庸中道を生きること。
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先を遠くを憂いも思い描きもせず、今ここで正しい面持ち心持ちのもと、目の前の一手を出し、それを連続させるのみ。
先を遠くを憂いも思い描きもせず、今ここで正しい面持ち心持ちのもと、目の前の一手を出し、それを連続させるのみ。 それが先も思いも正しくもたらし見せてくれる。 その目の前が自分のための課題としてなら狭いが、そのようにして世界のための課題としてなら無限となる。 そうして自身の世界は広まり不満ない。 さもないと、目先を掻き集め、偏った憤りで、永遠に欲望を追いかけ、なんの得にもなりはしない。
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物事には、成り立ちと成り行きがある。
物事には、成り立ちと成り行きがある。 それが命を与えられた稀有な人生の流れの実態。 そして何故それを与えられたかの真実を含む。 さまざまな物事の表面を真似て組み合わせても、成り立ちと成り行きの描き方に主をおかなければ、真実は語れない。
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良識や中庸や中道や良心と、そしてそこからの判断は、必ず自分の中にある。
良識や中庸や中道や良心と、そしてそこからの判断は、必ず自分の中にある。 他者に肩代わりはできない。 世界に形は無数、そのうちの何かに頼れば、それは必ず偏りとなる。 各自がそれを曇らせるものを晴らしてゆくよう努めて怠らないことが、最善となる。
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ただ個人のものという矮小なのに、清々しく、潔く、他に頼るところがない。
ただ個人のものという矮小なのに、清々しく、潔く、他に頼るところがない。 それは、嘘のない真実と言い表せるもの。 そこへ至るまで、多くの試練と克服と学びと改革が必要だったもの。
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我欲を優先すると、身の回りが見えなくなり、身の状況と安全がわからなくなる。
我欲を優先すると、身の回りが見えなくなり、身の状況と安全がわからなくなる。 我欲にひきこむ者からは離れること。
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向かい合うからこそ執着とし、向かい合うからこそそれを乗り越えもする。
向かい合うからこそ執着とし、向かい合うからこそそれを乗り越えもする。
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貧しさ、愚かさが、私から賢さ、希望、努力の種と根を奪ったとしても、信仰はそれらのさらに下にあるのだから、信仰の元である良心や、命を…
貧しさ、愚かさが、私から賢さ、希望、努力の種と根を奪ったとしても、信仰はそれらのさらに下にあるのだから、信仰の元である良心や、命を…
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極楽なひと時がある、それを感謝して、それ以外は赦す以外に、良い未来への道はあるか?
極楽なひと時がある、それを感謝して、それ以外は赦す以外に、良い未来への道はあるか? その道に背けば、どんな極楽も感謝せず、何も感じなくなる。 そこに自分の人生はないのだよ。
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赦しは受け入れに、受け入れは理解につながる。
赦しは受け入れに、受け入れは理解につながる。 この流れがなければ、必ず否定や争いを選ぶことになる。 因果によって成される。 何故それが成されるかを理解する。 その理由が、その人にとって助けを求める困った声なら、助けようとする。 そうでないなら、なぜそうするかの理由があるのだろうと赦して受け入れ理解につながる流れを止めない。 流れを生み出すのは神、我々はその蛇口。 それは心次第で開閉する。