失敗を指摘されて相手の失敗を指摘し返すのは、相手が次の時には学び成長してゆくことを否定している。
自分自身がそうだからこそ、指摘されても跳ね除け、相手も同じだと決めつける。
いつまでも相手の失敗を許せないのは、失敗しか目に入っていない。
失敗は自我の結果。
失敗を許せないとは、いつまでも自我を変えたくないこと。
自分の失敗も許せず、それを受け入れず否定して、避けて逃げようとする。
失敗は、取り組む前には、最小限にとどめるよう努めること。
失敗したなら、学び次へと生かすこと。
その一本道から逃げれば、後ろ向きになるしかなくなる。
後ろ向きは、自分のことだけ考えているときにしか、できない。
なぜなら万物は皆、前向きに生きるために、ここに在るのだから。
それでもなお仲間を探すのは、お互いを自我の道具としてしか見ない、不誠実な関係。
親なら、子がそうして甘えてきても、慈悲と親心で厳しく躾ける。
さもなくば親でさえ、誰かが成長しようものなら、足を引っ張り、恫喝し、怨み、妬む。
正しくありたいなら、その仲間にも入れず、ひたすら孤立するのみ。
だがまだ、孤立することで自分を見つめられるが、それができるなら失敗もまた生きているからこそと感謝して愛し、受け入れ許せている。
失敗への態度ひとつで、ここまでの迷路が生じる。
それは歪んだ姿勢、それが自我の強い者の実状。