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たくさんの失敗と、おかしな言動で暴走し尽くして、気づけば四面楚歌になり。

たくさんの失敗と、おかしな言動で暴走し尽くして、気づけば四面楚歌になり。
さみしさを味わえるからこそ、たまに出会えるときのありがたさがわかる。
ほんとうに伝えられること、大切なことを選び、それを与えることにフォーカスできる。
こわれた過去の執着を洗い流して、ほんとうの愛をたむけることができる。

人の根底にある感謝と謙虚さに立ち戻ることができる。

過去の失敗を悔やみ悔やんで悲しんで毒に浸かりきって、もうそれは十分だと思える。
そして過去を手放し、今と白紙の未来のため、また歩み始めることができる。

その歩み方でこそ、家族や同僚に、してあげられる誠実さが育まれる。
思えば幼少のころ、夢見たことが、そこにある。

でも、それが自分の身勝手な希望的観測であれば、また頭をたたかれ、絶望させられる。
だけどそうしたことは、身勝手でさえなければ、なくなってゆく、そんな希望も感じる。
そんなやりがいも感じる。

いろいろ失敗して、痛手も受けなければ、こうはなれなかった。

それを思うと、先祖や両親がやりきれなかったことを、自分がやらせてもらえることが、幸せ。
そこがずっと気になってた。
そのためなら、自分のバカさ加減から来た因果応報も、またありがたいご縁のようにすら感じる。
二度とごめんだけど。

その歩みで、いろいろ悲しみがあるなか、出会いを与えられ、ヒントをもらえて、日々をがんばれる。
そして気づかされることが日々あり、それが幼少からの疑問を溶かしてくれる。

生かされていることに感謝せずにはいられない。
このままおごらず、油断せず、さいごまで、与えらえれた命を、せいいっぱい、周囲を愛し、自分を愛し、先祖を愛し、子孫を愛し、がんばってゆく。

人の道には上も下もない。誰もが主役であり中心。そうなれなくともしょうがないと思う必要はない。自信を見失って何かの奴隷になる必要は全くない。

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