未分類

善悪は時と場所によって変わる。

善悪は時と場所によって変わる。
国、地域、個人、記憶。
だが良心はゆるがない。
良心が生んだ時と場所の国や地域や個人は、良心に基づく言動を守りやすい。
だがいずれ良心を忘れ、言動を守ることだけが残る。
やがて善悪で人を裁き始める。
いよいよ良心に基づく言動すらも消えていく。
善悪を自分のためだけに都合よくしようとしはじめる。
善も悪も、いくらでも脚色できることを忘れてはならない。
朝露を親の仇として周囲に伝えることもできてしまう。
時の経過や場所の移動によって、本来のものが霞んだり不確かになり、揺らいだものとなるため、いっそう好き勝手に脚色しやすく思える。
だがそれはすでに揺らいだ蜃気楼のように、間違っている。
まとめると善悪は裁くためのものではない。
善とは、命の機会を感謝し、善くあろうと反省し学び、それを言動に起こすよう努め、前に歩み続けるものである。
つまり善とは、自分が成ろうとし、自分が生もうとするものであり、自分を新たに生みなおすものである。
呼吸のたびにすらそれを想うものである。
他人を悪にしても自分は善にはならない。
良心を忘れたら、自分の善は揺らぎ、悪として何を裁くかもゆらぐ。
敵かと思えば味方となる、そのように忙しく手のひらを変えるだけ、人生は浪費されてゆく。

About klassfunktion

ふだん気づいた言葉を残しています。