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聖人とは自然の調和や理を表現する者とは言えないだろうか。

聖人とは自然の調和や理を表現する者とは言えないだろうか。
エゴの独善や、欲望の偏りによる、矛盾や間違いがなく、その言動からみな学ぼうとする。
もちろん人は未熟で、他者から見て指摘すべき汚点や失点や欠点がある。
だがそれを自覚していて、それを主張として表さない。
自然に対する人の姿勢や、受け取る感じを思い出してみる。
聖人に対しても同じではないか。
自ら聖人を名乗り、正当性を主張する者がいれば、それは聖人からもっとも遠い存在とは言えないだろうか。
しかし私たちもまた同じ人であり、大切な姿勢や与える感じはどうだろうか。
自然のあるこの世界に生まれるとは、自然を見て学びにきたとは言えないだろうか。
そのように在りたい。

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