良心と自我の分離は、必ずどちらかが追いやられて、代わりのもので補おうとする。
良心以外の心、自我以外の他者。
客観とはこの分離を生むことではない。
両方がともにあるのが人生の現実。
そして両方ともに仲良くあるのが人生の目的。
分離は時間をかけて人生から立退く必要がある。
これでは人生に参加できず、問題から逃げる。
これを独立と呼ぶ者はそれでも生きるために奪うのみの道へ進む。
商才あれば多く奪い、なければ貧しく、やはり奪うために進む。
どちらもその人生そのものが欠けて貧しい。
根本的には貧しいからこそ富を追求し、奪おうとする。
あっても飢餓、なくても飢餓。
だが社会に参加しても逃げることを常に考えて感謝がなければ、やはり同じこと。
そして、奪われる側として巻き取られてゆく。
もらうことばかり考えて、まず与えることを知らない。
与えるのは良心と自我の仲良しで生きればこそ、生まれる。
良心だけでは行動せず、自我だけでは行動しかしない。
どちらも空虚。