ちっぽけな人間一人に、全責任を負うことは不可能。
責めに耐えることに価値はない。
詐欺師は、不可能なことを言って嘘をついてかっこつける。
つまり、自分を大きく見せる。
そのようなちっぽけな人間一人を、悪魔のように見て、責めることは、虚しいので、やめること。
それをするほど、自身の心に悪魔の姿を強く描くことになり、自身が悪魔のようになってしまう。
まず自分の愛を育むこと。
人助けは、手足を動かしていくこと。
可能な限りの責任を、自分が負い、尽くして、勤め上げること。
そうすると、他者の責任がどのくらい背負えるものかも、わかってくる。
そのような誠実な者の姿を見て、刺激され、他者も動き始める。
動かない者は、どのみちどうあっても動くことはない。
今生で気づかないかもわからない。
その者に任せて、待っていたら、悲しむ者が多いかもしれない。
そんなときこそ、人助け。
それを悪く言われたところで、人助けが済んだ後。
助けられた者たちは、ある程度は救われ、そのぶん悲しみは減るだろう。
あとは各自が自分の悲しみと向き合い、愛を育むことに気づくしかない。
ちっぽけな人間一人は、完璧にはなれないが、愛を育むことはできる。
それが全ての人に共通した真実であると知った時、それは永遠な巨大な愛となる。
だから、気づかせる者であれ、助ける者であれ。
恨まれてもいいが、恨まない者であれ。
失敗してもいいが、反省する者であれ。
そして愛すること。