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自分の気づきの言葉で生きよう、そして後に先人と同じ言葉だったと気づくのが良い。

自分の気づきの言葉で生きよう、そして後に先人と同じ言葉だったと気づくのが良い。 それを飛ばして他人の言葉を借りるかぎり、そこには必ず曲解がある。 英知とは、手にして使う利便なものではい。 道標であり、そこまで辿り着いた時、確認できるものでしかない。 そしてその歩みを曲げないよう大切にすべきことは、感謝である。



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先祖の希望は、あなたまで繋がり、あなたに忘れられることなく、あなたからまた繋がること。

先祖の希望は、あなたまで繋がり、あなたに忘れられることなく、あなたからまた繋がること。 その繋がりとは、愛と感謝の学びであること。 今この瞬間も、まだ未だに、引き続き、愛され、希望を託され、感謝されていることを、忘れてはならない。




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人によっては良い両親に恵まれない者もいるが、それでも感謝すること。

人によっては良い両親に恵まれない者もいるが、それでも感謝すること。 なぜならその先に祖父母をはじめとした先祖代々がある。 両親のことに限らず人は恵まれず不運で不満で嫌う物事はいくつもある。 だがその背後の縁起を想い感謝すること。 そこにあった、誰かを愛して想う心が、両親や目の前の出来事の執行者により、自分自身にまで届かなかったことは、残念なこと。 だがそれを堰き止めず、また流れ、誰かに届くためには、感謝すること。 両親や執行者の不幸を憐れみ、最善を尽くせば、通じるものには通じる。 通じないことが多くても、全くの無ではない。 今の自分自身にまず通じる、それが縁あるものへ通じてゆく。


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好きなこと思い通りのことが起きたとき、人はその刺激や欲で、生かされている感謝を忘れる。

好きなこと思い通りのことが起きたとき、人はその刺激や欲で、生かされている感謝を忘れる。 いつでも生かされている感謝のもと生きること、呼吸のように。 そしてすべての命や見えざるものの存在と有難さを感じて、賛歌を送る。 それを土台にしてこそ、好きなこと思い通りのことは後ろめたさのない幸せとなり、その目先のために尊いものを犠牲にせずに済む行動規範が自然と生まれる。 そしてそれが周囲に伝わる。 生きるとはそのようなこと。





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気づくことを忘れたことにさえ気づかせるものとは何か。

気づくことを忘れたことにさえ気づかせるものとは何か。 思考は自分の思考できる範囲しか届かない。 生かされていること、命が紡がれた、そこへの感謝が気づかせる。 それだけはゆるぎない事実であり、確認できなくとも実在し、かつ気づくとを忘れるほど遥かなる紡ぎ糸の広がりであり、また収束でもあるから。


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悲しみに心が震えるときは、それはそれとして、ひとまずはいつものように感謝の言葉を口にすること。

悲しみに心が震えるときは、それはそれとして、ひとまずはいつものように感謝の言葉を口にすること。 言葉は振動、悲しみも感謝も振動。 ふたつの異なる振動が混じると、相殺されたり、増幅されたりと、新たな振動になる。 悲しみのなかにも学びや教えや気づきを与える慈悲があるなら、それは感謝の波動を持っている。 生かされている身であればこそすべては起きるため、そこにも感謝の波動がある。 それによって感謝の言葉の力は磨かれて増幅されて、より本当の感謝に気づいて知るし、それを周囲に伝えることになる。 それが前を向いて生きてゆく姿勢であり、家族、両親、先祖、友人みんなに見せる姿勢でもある。