問題とは、乗り越えて成長するための壁であり、勝手に消えない。 それは変化。 何もせず消えるように見えるのは、今回は起こらず周期を過ぎただけか、周囲が片付けてくれている。 それに気づけないのは、周囲を滅ぼす。 問題を乗り越えるとは、気づきと行動にある。 行動は、事前と事後がある。 どちらであっても変化を生む。
月別: 2018年5月
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多くの人を従えられるのは、必ず別の何かの助けがあったからであり、自力ではない。
多くの人を従えられるのは、必ず別の何かの助けがあったからであり、自力ではない。 そこを気づけない者は、未熟である。 別の何かの助けだと知れば、それらが自分の力となってくれる。 そしてそれらの全てが活かされて発展してゆく。
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気合いと根性の死ぬ気でやるときは、全てを捨て、短期で結果を出すときの行動。
気合いと根性の死ぬ気でやるときは、全てを捨て、短期で結果を出すときの行動。 それ以外の質の行動ではない。 これに気づけないなら、永遠に自分だけの自己満足でしかない。
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生かされている感謝は、日々が幸福で充実し、他への良い想いとなる。
生かされている感謝は、日々が幸福で充実し、他への良い想いとなる。 生かされている感謝は、日々が幸福で充実し、他への良い想いとなる。 どんな趣味も嗜好も、外側にあり、人は満たされない。 どんな他責も、同じ。 人を満たすのは内側に充実するもの。 これが充実すると永遠となり、他への永遠も見る。 愛が創造され、あふれて、自分の趣味や嗜好にこだわらず、全ての他を愛しく慈悲を感じ、祈りをささげて祝福する、愛を与える。 他責ではなく全ては自分事となり、他を敵として身構えることもない。 問題も兄弟として抱擁し、無理難題には心を痛めず無理に何とかしようとせず、ただ受け入れて、次の策に移る。 これもまた愛を与える。 最後にはこれしか無くなる。 そのとき感謝して孝行したい親や相手がすでにいないことが多い。 外側の欲望や利益で刺激し振り回し釣り上げる言葉に、ゆらいではならない。 そのようなあおりかたをする者は、真実を知らない。 そのような者に近づいてはならない。 そのような者が与えてくるのは目先の餌という害悪のみで、良いことはひとつもない。 こちらからただ一度、祈りと祝福を与え、距離を置き、あとは近づかないこと。
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与えて埋めたがる親心は、子の本心を知ることはない。
与えて埋めたがる親心は、子の本心を知ることはない。 様子を見て見守るとき、親は子供 の本心を知る。
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責任を取れない大口やかっこつけは、詐欺師の妄想から来る、決まり文句。
責任を取れない大口やかっこつけは、詐欺師の妄想から来る、決まり文句。
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ちっぽけな人間一人に、全責任を負うことは不可能。
ちっぽけな人間一人に、全責任を負うことは不可能。 責めに耐えることに価値はない。 詐欺師は、不可能なことを言って嘘をついてかっこつける。 つまり、自分を大きく見せる。 そのようなちっぽけな人間一人を、悪魔のように見て、責めることは、虚しいので、やめること。 それをするほど、自身の心に悪魔の姿を強く描くことになり、自身が悪魔のようになってしまう。 まず自分の愛を育むこと。 人助けは、手足を動かしていくこと。 可能な限りの責任を、自分が負い、尽くして、勤め上げること。 そうすると、他者の責任がどのくらい背負えるものかも、わかってくる。 そのような誠実な者の姿を見て、刺激され、他者も動き始める。 動かない者は、どのみちどうあっても動くことはない。 今生で気づかないかもわからない。 その者に任せて、待っていたら、悲しむ者が多いかもしれない。 そんなときこそ、人助け。 それを悪く言われたところで、人助けが済んだ後。 助けられた者たちは、ある程度は救われ、そのぶん悲しみは減るだろう。 あとは各自が自分の悲しみと向き合い、愛を育むことに気づくしかない。 ちっぽけな人間一人は、完璧にはなれないが、愛を育むことはできる。 それが全ての人に共通した真実であると知った時、それは永遠な巨大な愛となる。 だから、気づかせる者であれ、助ける者であれ。 恨まれてもいいが、恨まない者であれ。 失敗してもいいが、反省する者であれ。 そして愛すること。
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家族に相談するなという指導者は、詐欺師である。
家族に相談するなという指導者は、詐欺師である。 なぜなら自分が相談に乗り、洗脳するためだから。 正確には、自分以外の誰にも相談はできない。 良心から来る決断は、自分にしか下せない。 良心で愛し合うことが、お互いの良心を育む。 それが自信。 自信によって決断すれば、あとの結果はどうなろうと最善。 良心なく実行して良いのは、家族を背負わずにいる者だけ。 だがそれも周囲の良心を奪うので、してはならない。 それをする者に近づいてはならない。
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子供に問題が引き継がれるのではない。
子供に問題が引き継がれるのではない。 問題から逃げることが引き継がれる。 問題は逃げても未解決なため、ずっと共にあり続ける。