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トップダウンで絶対服従の強権とは、傷ついた部下を退けさせる、さもなくば傷ついても血を流さないよう全力全霊で助けることにある。

トップダウンで絶対服従の強権とは、傷ついた部下を退けさせる、さもなくば傷ついても血を流さないよう全力全霊で助けることにある。 それがない強権は、放牧や焼畑農業のように使い捨てることしかしない。 傷ついても養生させず、力を使い果たしても養育もせず、のびろ、よこせ、枯れるな、と罵倒するだけで、要求することしかしない。




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集金はきっちりしていて、その後の計画を立てや履行はずさん。

集金はきっちりしていて、その後の計画を立てや履行はずさん。 そして自分の負荷負担の主張だけをして、その価値に見合わない対価を、姿の見えない権威づけと皮算用で要求する。 それは詐欺の基本形、かつ本人もそのことに、気づかない。 気づいていても理屈で塗りつぶすか、さらにその親玉に権威で塗りつぶされている。 上には上がある、下には下とも言える、多くの人たちから利をせがむ飢えが絶えない下の者が。 多くを求めて得るものほど餓鬼道で貧しく、その言葉に耳を傾けてはならない。 求めずとも多くを得ているものは、多くを与えたものも知ること。 このことに気づいて自覚し理解していれば、良心の呵責から、詐欺の片棒を実行にはうつせない。 詐欺の道に巻き込まれて奪われもしない。 多勢に無勢かもしれないが、それでも強くあらなければならない。 そのためにただひとつ、守ると良いこと。それは集団での学び舎に埋没しないこと。 どこにいようと独りであれ。 仲間意識を求められても、それが切り離せないく鎖となる。 与えよ、だがそれは自分自身からのものであれ。 集団のなかでの役割としてではいけない。



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人生や物事の計画を立てる目的は、効率化にある。

人生や物事の計画を立てる目的は、効率化にある。 無理や無駄や混乱をなくして、誰かを助けることにある。 狭い了見をなくし、ややこしくなったことを整理整頓し、荷を軽くするためにある。 思い通りにするためではない。 思い通りにしようという狭い了見で、人々に無理や無駄や混乱をそのまま背負わせる負担を強いるためではない。


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学びになるから参加すると言うのは自分が与えて貰うことばかり。

学びになるから参加すると言うのは自分が与えて貰うことばかり。 何か自分にできることがある、参加すること自体が誰かに感謝される。 自分の存在そのものに力があり、それを動かしてゆくのが自分の意思。 すでに与えて貰っていることに感謝する意思が、それを実現する。 そのことに出会うために縁など必要ない。 生まれた時点でその縁に預かる日々である。 その自覚がなくても、そうである事実に変わりはない。 ただ、それを忘れているときは、気づかせるための声かけは大切。 でもそれはなにも大切な格式高い特別な権威の縁ではない。 ささやかな風のように、誰のものでもなく、またどこかしらから吹き、去ってゆき、とどまることはなく、蓄えることもない。


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良い夢を見れば正夢かと喜ぶ。

良い夢を見れば正夢かと喜ぶ。 または、まぼろしだったと落胆して悲しむ。 あるいは、夢の中だけでも得た平安を今ここで無条件に感じてみる。 悪い夢を見れば目覚めて安堵し平安に帰る。 どんな夢も過ぎ去り、そこには平安を残す。 現実も同じ。 いつでも平安は共にあるはず、何をしていても。 その平安を忘れないこと。 良い夢と悪い夢に共通し、その間にある真ん中の道に、平安がある。


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組織の所業は判別しなくて良い。

組織の所業は判別しなくて良い。 その起こり、はじめの理念、その原点を判別すれば良い。 組織になればそこが歪み、にごり、いずれ反転する。 なぜなら原点はみな善意であり、組織になるほど我欲を利用して集めることとなり、その善意は反転するからだ。 物事を判別するときは常にそこを忘れないこと。 そこを忘れて組織を判別する者は、いかにその言葉が正義をうったえても、そこにはそれに見合う実体がない。 似た者同士で獲物を奪い合うにすぎない。




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練習や勉強などない。

練習や勉強などない。 いついかなるときも本番。 いつ死ぬかもわからない命。 いつか、は存在しない。 ただ今にすべて存在する。 離れていても愛し、抱擁するように、かつ捕らえることもなく。 その想いの呼吸ひとつひとつが、世界を繋げる空気を癒して浄化、転化するかのように、または流れに乗るかのように。 その空気が全てをも 時を超えて繋げ合う媒体であるかのように。 ただしこれが期待であってはならない。 その瞬間にただ感謝すること。



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何事も共有できないものは意味がない。

何事も共有できないものは意味がない。 情感、情景、郷愁、これらも孤独であれば意味がない。 それらを越えたところにある全てに通じるものに心を注ぐと、それら全てをも作り出し、また消してもゆく、不変かつ普遍のものに通じる。 そこから全てに感謝をたむけること。 それは悠久の、原始からの繋がり、つまりは生かされていること。 生かされているとは、単にその命だけを見ての低確率のなか生まれた希少さや、単に保たれていることではなく、そこまでの繋がりを紡いだ無数の想いと奇跡にある。


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敵対して批判して潰すことに知恵と心を使うな。

敵対して批判して潰すことに知恵と心を使うな。 赦して善転させるために知恵と心を使え。 心のなかで世界を分断して孤立せずに、融和させよ。 そのとき悪いことは水と油のように、衣服の汚れのように、洗われて別れて行き、本体のみが残る。 悪いことをそのままにすることはなく、善処はすべき。 しかしそれもまた理由あって生じていることを忘れないこと。 そして本体は別で、そのなかに隠れていることも忘れないこと。