成功は出世につながらない。 同じを失敗しないこと、失敗を人のせいにせず見直すことが、出世につながる。
月別: 2018年1月
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相手を説得するのではなく、相手と一緒に良い道を考えること。
相手を説得するのではなく、相手と一緒に良い道を考えること。 敵ではなく味方として反転させること。 世界に相手に頭ごなしの矯正や説得をしたいのは、この世界は一人ではないということがわからなくなっている。 逆を言えば、すべては一つなのに、自分のことしか見えず、分断させている。
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真実に実績はいらない。
真実に実績はいらない。 真実がどこで実りをもたらすかは、誰にも追いきれないからだ。 だから良心からの真実に生きること。 それは富も身分も関係なく、示せていけること。 それを否定し富や身分や実績を求める者がいるなら、それは真実を知らない者の嫉妬である。
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うまく逃げ切っても、そのぶん誰かから奪ったにすぎない。
うまく逃げ切っても、そのぶん誰かから奪ったにすぎない。 うま逃げ切った実績は成功のための道とは言えない。 その道に従えば、あなたもまた奪われるか、奪う側に加担するだけのこと。 そこに良心はない。 短い期間は逃げられても、ツケはその後に来る。 人生もまた短い期間、生きてるうちに逃げ切ったところで、それは同じこと。 そこに良心にない。
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神頼みして願いを叶えたいのなら、そもそも神頼みするような者の願いを叶えることが良いことだろうか?
神頼みして願いを叶えたいのなら、そもそも神頼みするような者の願いを叶えることが良いことだろうか? それでも叶えたいのなら、それは後で失い、もともとの良さも失うだろう。 真に良いものを与えられるのは、そんな者とは真逆。
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どんな仕事でも頑張る努力をしていると、好きなことを頑張るとき客観的になる力が身に付き、そちらもうまくいく。
どんな仕事でも頑張る努力をしていると、好きなことを頑張るとき客観的になる力が身に付き、そちらもうまくいく。 好きなことをうまくできないことで苦しまずに済む。
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自分の変化を通じて世界に変化は与えられる。
自分の変化を通じて世界に変化は与えられる。 良い変化を心がけること。
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謝罪の言葉が多い人は、それだけの多くの過ちをおかしているから。
謝罪の言葉が多い人は、それだけの多くの過ちをおかしているから。 謝る前に反省して正すことが大事。 謝罪すればするほど、他者を妨害するだけ。
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奴隷を頼れる存在と考えて丁重に敬意と礼節をはらう者はいない。
奴隷を頼れる存在と考えて丁重に敬意と礼節をはらう者はいない。 パートナーでなければ、関わりあう意味はない。 その関係はすでに斜陽。 活かし合わないから。 目上だからと盲目的に従えば良心を損なう。 目下だからと尊重しないのも同じこと。 上下関係のお互いの信頼や忠誠は、横も含めて考えないと失敗する。 受け継ぐ流れは上下だが、関係性は横である。
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失うのが怖いなら、その物事に感謝して養生といたわりを第一にすること。
失うのが怖いなら、その物事に感謝して養生といたわりを第一にすること。 もし執着すれば、むさぼり不健康に損なうことになる。
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実績は妄想の行動を防ぐことはない。
実績は妄想の行動を防ぐことはない。 妄想の行動を防ぐのは自分の良心のみ。 他人の良心や、自他の実績に自分をの良心を明け渡してはならない。
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自分にこだわれば、自分を大きくしようとする。
自分にこだわれば、自分を大きくしようとする。 世界がすでに極大に大きいと知れば、自分を大きくする必要はない。 その大きさに任せる。
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大きな危機をうったえる何かに出会ったら、ほんとうの危機に気をつけよう。
大きな危機をうったえる何かに出会ったら、ほんとうの危機に気をつけよう。 それは小さな奇跡を見落とす危機である。 すべては小さく儚く、それだけに有り難く、大きな奇跡でもある。
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生まれた時のさだめは、変化をするほど離れる。
生まれた時のさだめは、変化をするほど離れる。 多くと関わるほど、離れる。 だがほんとうに多くと関わると、変わらないさだめに気がつく。 しかし多くに関わればこそ、そのさだめもまた他と変わらず、いつかは去ってゆく、手放されてゆく、永遠ではないことに気がつく。 おかえしするものであることに気がつく。 かけがえなく有難いご縁だったと気がつく。 執着せず手放しで、同時に愛する。 愛とは何かを知る。
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人はどんな物事や相手にも依存する。
人はどんな物事や相手にも依存する。 どんな力や実績や正しさを誇ろうとも、完璧などない。 それを誇れば周囲は依存しはじめ、完璧さから遠ざかる。 完璧ではない者たちが集う。 つまり、誇らしい人も完璧ではない。 自分ができていることについては完璧でも、できていないことについては違う。 それが何かは人それぞれ違う。 優れた何かの良い面からは学ぶといい。 だがその引き換えに自分の良心や本心よりも、その物事や相手の言い分を優先してはならない。 全ては学び成長していることを忘れてはならない。 どのような場合も良心の中心の主人公は自分であって、他者ではない。 そして、人に優劣や善悪はない。 誇るものは優劣や善悪をつけたがり、他者に自身が劣る悪だと自信を失わせ、自分の配下に置きたがる。 そうなれば両者ともに他者への貢献もできない。 良心や本心を見失い嘘をつく自分が他者をだますのだから、貢献にはならない。