偽りの関係は、嘘をついて言いなりになるだけ。 または誰かを言いなりにさせるだけ。 自分を偽る限り、それは避けられない。 苦手なこと、欠点、短所から、逃げようとする限り。 完璧であろうとする限り。 未熟さや間違いを認めない限り。 反省しない限り。 立ち向かわない限り。 人や世界に責任を押し付ける限り。 それらを乗り越えることが人生。
投稿者: klassfunktion
未分類
師が弟子に真似るなと言うのは、複写機に原稿を乗せて実行しながら複写するなと言うようなもの。
師が弟子に真似るなと言うのは、複写機に原稿を乗せて実行しながら複写するなと言うようなもの。 それは、師が自分自身や教えの問題を修正せず他人事にしている。
未分類
他人に任せるなら、他人を悪くいうな。他人を悪くいうなら、他人に任せるな。
他人に任せるなら、他人を悪くいうな。他人を悪くいうなら、他人に任せるな。 人は一人では生きては行けない。 だから他人を悪く言ってはいけない。 他人を悪く言うなら、他人から隠れて奪う道しかなくなる。
未分類
片付けるべき問題は多いほどいい。
片付けるべき問題は多いほどいい。 瑣末な心配に気を配らなくなり、心が健全になる。 不健全になって自分自身が問題となって問題を生んではいけない。
未分類
適材適所とは、その場に欠けていることを助けるために関われること。
適材適所とは、その場に欠けていることを助けるために関われること。 向き不向きではない。 得手不得手ではない。 損得ではない。 増して好き嫌いではない。
未分類
伝統には他者を想う見えない理由があり、自分の欲望で見える表面だけ欲しがる者は、これを変えたがる。
伝統には他者を想う見えない理由があり、自分の欲望で見える表面だけ欲しがる者は、これを変えたがる。
未分類
客観とは、自分が未熟であり完璧ではないという事実を見失わず忘れないこと。
客観とは、自分が未熟であり完璧ではないという事実を見失わず忘れないこと。 自分を駒のように好き勝手に使って良心を踏みにじらせることではない。 それは人として生まれたことの真実を見失う。 成長や開花とは、良心からの制限を外すことではない。 常に当事者として我が身として行動し、肌身として血肉として感じ取ってゆくことにある。 亡霊のようであったり、嘘をついたりでは、いけない。
未分類
問題とは、乗り越えて成長するための壁であり、勝手に消えない。
問題とは、乗り越えて成長するための壁であり、勝手に消えない。 それは変化。 何もせず消えるように見えるのは、今回は起こらず周期を過ぎただけか、周囲が片付けてくれている。 それに気づけないのは、周囲を滅ぼす。 問題を乗り越えるとは、気づきと行動にある。 行動は、事前と事後がある。 どちらであっても変化を生む。
未分類
多くの人を従えられるのは、必ず別の何かの助けがあったからであり、自力ではない。
多くの人を従えられるのは、必ず別の何かの助けがあったからであり、自力ではない。 そこを気づけない者は、未熟である。 別の何かの助けだと知れば、それらが自分の力となってくれる。 そしてそれらの全てが活かされて発展してゆく。
未分類
気合いと根性の死ぬ気でやるときは、全てを捨て、短期で結果を出すときの行動。
気合いと根性の死ぬ気でやるときは、全てを捨て、短期で結果を出すときの行動。 それ以外の質の行動ではない。 これに気づけないなら、永遠に自分だけの自己満足でしかない。
未分類
生かされている感謝は、日々が幸福で充実し、他への良い想いとなる。
生かされている感謝は、日々が幸福で充実し、他への良い想いとなる。 生かされている感謝は、日々が幸福で充実し、他への良い想いとなる。 どんな趣味も嗜好も、外側にあり、人は満たされない。 どんな他責も、同じ。 人を満たすのは内側に充実するもの。 これが充実すると永遠となり、他への永遠も見る。 愛が創造され、あふれて、自分の趣味や嗜好にこだわらず、全ての他を愛しく慈悲を感じ、祈りをささげて祝福する、愛を与える。 他責ではなく全ては自分事となり、他を敵として身構えることもない。 問題も兄弟として抱擁し、無理難題には心を痛めず無理に何とかしようとせず、ただ受け入れて、次の策に移る。 これもまた愛を与える。 最後にはこれしか無くなる。 そのとき感謝して孝行したい親や相手がすでにいないことが多い。 外側の欲望や利益で刺激し振り回し釣り上げる言葉に、ゆらいではならない。 そのようなあおりかたをする者は、真実を知らない。 そのような者に近づいてはならない。 そのような者が与えてくるのは目先の餌という害悪のみで、良いことはひとつもない。 こちらからただ一度、祈りと祝福を与え、距離を置き、あとは近づかないこと。
未分類
与えて埋めたがる親心は、子の本心を知ることはない。
与えて埋めたがる親心は、子の本心を知ることはない。 様子を見て見守るとき、親は子供 の本心を知る。
未分類
責任を取れない大口やかっこつけは、詐欺師の妄想から来る、決まり文句。
責任を取れない大口やかっこつけは、詐欺師の妄想から来る、決まり文句。
未分類
ちっぽけな人間一人に、全責任を負うことは不可能。
ちっぽけな人間一人に、全責任を負うことは不可能。 責めに耐えることに価値はない。 詐欺師は、不可能なことを言って嘘をついてかっこつける。 つまり、自分を大きく見せる。 そのようなちっぽけな人間一人を、悪魔のように見て、責めることは、虚しいので、やめること。 それをするほど、自身の心に悪魔の姿を強く描くことになり、自身が悪魔のようになってしまう。 まず自分の愛を育むこと。 人助けは、手足を動かしていくこと。 可能な限りの責任を、自分が負い、尽くして、勤め上げること。 そうすると、他者の責任がどのくらい背負えるものかも、わかってくる。 そのような誠実な者の姿を見て、刺激され、他者も動き始める。 動かない者は、どのみちどうあっても動くことはない。 今生で気づかないかもわからない。 その者に任せて、待っていたら、悲しむ者が多いかもしれない。 そんなときこそ、人助け。 それを悪く言われたところで、人助けが済んだ後。 助けられた者たちは、ある程度は救われ、そのぶん悲しみは減るだろう。 あとは各自が自分の悲しみと向き合い、愛を育むことに気づくしかない。 ちっぽけな人間一人は、完璧にはなれないが、愛を育むことはできる。 それが全ての人に共通した真実であると知った時、それは永遠な巨大な愛となる。 だから、気づかせる者であれ、助ける者であれ。 恨まれてもいいが、恨まない者であれ。 失敗してもいいが、反省する者であれ。 そして愛すること。
未分類
家族に相談するなという指導者は、詐欺師である。
家族に相談するなという指導者は、詐欺師である。 なぜなら自分が相談に乗り、洗脳するためだから。 正確には、自分以外の誰にも相談はできない。 良心から来る決断は、自分にしか下せない。 良心で愛し合うことが、お互いの良心を育む。 それが自信。 自信によって決断すれば、あとの結果はどうなろうと最善。 良心なく実行して良いのは、家族を背負わずにいる者だけ。 だがそれも周囲の良心を奪うので、してはならない。 それをする者に近づいてはならない。