改心に時間は必要ない。 いま手を合わせて、良心に抵抗する様々な理由や理屈を手放して、ただ良心を採用する。 これが祈りである。
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文化は地域の自然や目に見えないところとの共存や感謝から編み出されてゆく。
文化は地域の自然や目に見えないところとの共存や感謝から編み出されてゆく。 発祥地や独自性を我が物とする主張や他者との争いは、そうしたことを欠かして力の主張しかないため、そこを埋めるための嘘や幻想がつきものとなる。
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人間関係は、相手に好かれる利害ではなく、助け合うところにある。
人間関係は、相手に好かれる利害ではなく、助け合うところにある。
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人の誤解の裏には、その人自身の欠点がひそんでいる。
人の誤解の裏には、その人自身の欠点がひそんでいる。 自身の欠点に気付けないか認めたくない。 欠点により問題が起きて困った時、他人のせいにするしかない。 だが他人を正しく理解できていない。 このようにして誤解する。
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ある道が自力となるか他力となるか?
ある道が自力となるか他力となるか? 簡単となるか難しいとなるか? 人がお互いのために歩めるよう、人それぞれに合う形がやってくる。 この真実は、道の先にはなく、今すでにある。 形に優劣や正誤があるのではない。 未熟さやエゴが、そのような偏る判別をさせたり、形を見間違えたりさせる。
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良心に比較は必要ない。
良心に比較は必要ない。
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周囲の洗脳を解くには、まず自身の洗脳を解くこと。
周囲の洗脳を解くには、まず自身の洗脳を解くこと。
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地に寝転がって見渡すほうが、世界を隅々まで見渡せる。
地に寝転がって見渡すほうが、世界を隅々まで見渡せる。
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批判したり敵対する相手いなければ成り立たない自分は、相手が永遠ではないために、いつか成り立たなくなる。
批判したり敵対する相手いなければ成り立たない自分は、相手が永遠ではないために、いつか成り立たなくなる。 確固たる真理や平安や正義や愛とはならない。 確固たるそれを求めるなら、その過ちを悔い改めなくてはならない。
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弟子たちの人生の面倒を見るという教祖の言葉は実現不可能。なぜならそこから先の家族との繋がりまでに通じず、分断を生むことになるから…
弟子たちの人生の面倒を見るという教祖の言葉は実現不可能。なぜならそこから先の家族との繋がりまでに通じず、分断を生むことになるから…
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すべて自分だけで行うのが独立と考えて、身近の助け合いを捨てて外に出ても、やはり外では助け合いを求められての独立となる。
すべて自分だけで行うのが独立と考えて、身近の助け合いを捨てて外に出ても、やはり外では助け合いを求められての独立となる。 ところが自分だけの都合で外に出た者は、助け合いを満足に応えられず、自立どころか糊口をしのぐのみとなる。 助け合いの発展性はなく、萎んでゆく。
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荒れた環境では、それぞれの不備や不満や不足のなか、それぞれが補い合う助け合いが必要になる。
荒れた環境では、それぞれの不備や不満や不足のなか、それぞれが補い合う助け合いが必要になる。 そのときの約束は、そのときの一時的なものに終わるか、その後の永続的発展につながるか、そのために今の振る舞いが大切。 まさに未来をつくる破壊と創造の時期であり、またとない機会。
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嘘をつく人の見立てや理解や説明には、嘘や誤解があり、嘘をつくための理由でしかなく、百戦錬磨であろうとも、参考として信じられるもので…
嘘をつく人の見立てや理解や説明には、嘘や誤解があり、嘘をつくための理由でしかなく、百戦錬磨であろうとも、参考として信じられるもので… ただ、その状況や、そういった種の人がいるという理解はできる。 社会はさまざまな種の集まりであり、まっこうから否定しても成立しない。 百戦錬磨であればそこは活用し、それ以外の期待はできず、また真実の期待もできない。 となれば、特殊な個人的役割に終始する者であるとわかる。 そこに真実や広がりを期待すれば、全体として道を間違える。 いわゆる教祖とされる者のほとんどが失敗するのは、ここにある。 周囲がその百戦錬磨の力に期待してしまう。 だがその期待は間違っている。
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物事を動かす力が闘争なら、それは道を切り開く。怒りなら崖に落とすだけ。
物事を動かす力が闘争なら、それは道を切り開く。怒りなら崖に落とすだけ。 闘争の相手は他者か、自身か、両者を阻む障害か、それによって道の向こうが決まる。
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無知とは罪と言うのは、無知が罪な言動を生むことにある。
無知とは罪と言うのは、無知が罪な言動を生むことにある。 知ったつもりでも、間違った理解や、間違った情報であることがある。 または、他にも知っておかないと、意味が真逆になることもある。 それらが無駄、無益ばかりか、本来とは別の課題にすりかわったり、有害になることもある。 その結果、図らずとも罪となってしまう。 良心のもと生きようと努めていれば、そのことに気づくものである。 全てを知らなくても、それを自覚して反省して、学び次に生かす変化を嫌わず、逃げずに背を向けずに、取り組むのである。