すべての生命を平等に見るとは、そこに自分自身も含めて見る視点であり、自分を犠牲にしても棚に上げてもいけない。
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みんなに話せることほど、みんなに通じる。
みんなに話せることほど、みんなに通じる。
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どんな言動も、受けた者に試練を与える。
どんな言動も、受けた者に試練を与える。 与える者も受ける者も未熟であるために。 そうして命はつながってゆく。
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生き残るための視点で見れば、それぞれの役割の意味がわかり、形だけになっていないかもわかる。
生き残るための視点で見れば、それぞれの役割の意味がわかり、形だけになっていないかもわかる。
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自分の豊かさを夢見るよりも、世界の豊かさを夢見るほうが良い。
自分の豊かさを夢見るよりも、世界の豊かさを夢見るほうが良い。 世界が豊かなら漏れなく自分も豊かなのだから。 自分に富を集めるためでは何も生まず、何もかも切り崩して売り、世界は貧しくなる一方。
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死後や来世があるかはとうでもよく、あったにしても後悔しないであろう心情と生き方をすることが最大事。
死後や来世があるかはとうでもよく、あったにしても後悔しないであろう心情と生き方をすることが最大事。 それは与えられることへの執着からの自由かつ与えるのみの愛であること。 どれだけ多くを見て満たされたかではない、それはきりがなく、永遠に満たされない。 有限でよかった、それらが美しく完備であるほと未練や執着が強まる。 だがそれで苦悶して答えを見つけたならそれが最大に幸いである。 栄枯盛衰のすべてに価値があり意味がある。 やがて儚く枯れて衰えて消え去るとしても、その価値は最大に幸いである。 優れた物語の読後感のように、ああ良かったと最大に幸いである。 そして最大事なものを学び受け取り、また世界に放つ。 この世界の創造の目的を果たし、最大に幸いである。 世界中を旅するのなら、得るためでなく、与えるためにせよ。
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幸せな者が不幸な者を助けるとき、決して自分が優れていて、助けられるものを知っていると思ってはならない。
幸せな者が不幸な者を助けるとき、決して自分が優れていて、助けられるものを知っていると思ってはならない。 なぜなら相手の不幸の姿は明日の我が身なのだから。 誰にでも起こることであり、乗り越えなくてはならない試練と成長がそこにある。 不幸な者から助けられるのはむしろ自分であり、助け合いを通じて学ばされることに感謝すれば、いざ我が身となった時、救われるだろう。
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適性がある者に任せたほうが良いが、適性がないと思えてもまず最善を尽くしてみなければ、自分の隠れた適性は見つからないし育たない。
適性がある者に任せたほうが良いが、適性がないと思えてもまず最善を尽くしてみなければ、自分の隠れた適性は見つからないし育たない。
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偉大なことをなす必要はない、なぜなら過去からの偉大な積み重ねがあって今がある。
偉大なことをなす必要はない、なぜなら過去からの偉大な積み重ねがあって今がある。
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相手を正すのではなく、扱い方を変えよう、そのために自分がまず変わろう。
相手を正すのではなく、扱い方を変えよう、そのために自分がまず変わろう。
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人の成長とは、力ある正しい他人から気づかされることではなく、自分で気づくことにある。
人の成長とは、力ある正しい他人から気づかされることではなく、自分で気づくことにある。 正解を与えず間違いを与えて怪我をさせて気づかせたほうがまだ良いこともある。
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人が何かを答える時、たいていは熟慮なく、表面しか見ず、知ったかぶりをしている。
人が何かを答える時、たいていは熟慮なく、表面しか見ず、知ったかぶりをしている。 その相手に合わせれば、自分も熟慮を失い、表面しか見れなくなり、知ったかぶりになってしまう。 和するとは何か。とこで和するのか。 であれば不要に相手と言葉を交わすことは避けること。 自分からみだりに話さないこと。 話せば合わせる行為が生まれる。 もし合わせてみて熟慮を欠くのなら、その者とは距離を置くと良い。 熟慮して与えるのみの言動の発信が、熟慮を守る。
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誰にでもできるお金儲けはするがそれ以外を軽んじるなら、それは偏っている。
誰にでもできるお金儲けはするがそれ以外を軽んじるなら、それは偏っている。
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相手が一段だけ足りない分を、台となって持ち上げて、助けられた者は手を取り引き上げ、支え合い助け合い、共に成長する。
相手が一段だけ足りない分を、台となって持ち上げて、助けられた者は手を取り引き上げ、支え合い助け合い、共に成長する。
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どんな成長があったかはわからない、それは今がすべてのこの世界では、神のみぞ知ること。
どんな成長があったかはわからない、それは今がすべてのこの世界では、神のみぞ知ること。 今を良心で感謝して最善を生きよう。 どんなことも、生きているからできること。 小さなことでいいから、行動しよう。 結果が失敗や失意でも関係ない、それは永遠の存在であり永遠に成長し永遠に未熟であるは、誰にも決められない。 だがそれが腑に落ちて日々を生きる時、それは明らかに成長を歩む命の証に違いない。