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因果応報の理が土台にある世の中だから、受けた仕打ちのすべては自分がどこかで始めたこと。

因果応報の理が土台にある世の中だから、受けた仕打ちのすべては自分がどこかで始めたこと。
鏡のように反射しているだけ。
他者を責めたり悪く思うことは、終わらない反射を続けるためにわざわざ貴重な生を使うという、理がない行い。
理がある行いとは、明日は我が身、昨日の我が身、いつかの我が身、自分が発することを、その反射の間から立ち上がらせて、前に進ませることにある。
前に進めば次が見えるのが因果応報の理。
それは過去があってのことだから、過ぎ去ったことに感謝することも理。

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