偏見や批判ばかりする集団に、正しい見解や真実はない。
なぜなら、正しい者はそこでわざわざ主張して疲弊するくらいなら、別の者のために正しいことを話し伝えて、働くことを選ぶから。
そして社会では、そちらが採用される。
しかしその集団が社会的な実害となれば、いつか制裁を与えるために、自然の因果応報がやってくる。
それまでは各自、そのようなものごとには近づかない、関わらない、信じないこと。
偏見や批判ではなく、良いところを見つけようとする自分自身で確認するか、すでにそのように確認した者に聞くこと。
あるいは、そうした者が集まる社会性のある評価を参考にすること。