少数の夢と欲のために何かを集めようとしても、多数が犠牲となる。
多数のための欲は多くの実現を必要とし、それらが少数の夢を叶える土台となる。
単身で海外の仕事に行きたいなら、現地でパートナー探しが待っている。
現地の法律、医療や保険の体制、もろもろの土台は、来訪者には満足に与えられない。
自分の国で、制度や社会的な仕事により多数のための夢が生み出された多くの実現が、すでに土台を与えてくれている。
そのために海外へ行く必要も出れば、その土台が支えとなる。
個人の欲は、多数のための貢献すら嫌い、土台を築く負荷とご縁を嫌い、逃げようとする。
そうして得られない土台のぶんを、人柱を立てたり、奪い取り搔き集める発想にしか、ならなくなる。
このような者には、たとえ優雅でも。近づいてはならない。
その優雅は血塗られていて、近づく者は同じく多数を血祭りにあげるか、自分も奪われる側にしかならない。
その先にあるのは、土台なき飢え。
そしてこれを、繰り返す。
それは奈落の底に人々を誘惑して、食い物にするようなもの。
近づいてはならない。