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何故の先に否定が来れば、それは答えではない。

何故の先に否定が来れば、それは答えではない。
受容と理解と肯定の先に、答えがある。
すべては理由あって成り立つ。
肯定は何故の答えを出すために乗り越えた成長の先にある。
否定にはそれがない。
それがない尊大な勝利は独りよがりになり、他者には適用されない。
尊大な勝利を正義とすれば、感化されたものから、こうした大切なものを奪い、糧とするようになる。
それで生きて行けることをまた正義とする。
大切なものを欠かせばそれはいつまでも埋まらない穴となる。
そこに延々と続く奪う糧を求め続ける。
尊大な正義のもとに。
命のなにか大切な根本を欠かし続けながら。
この世界はそれを学ぶためにある。
この世に来て、なおもそれにあらがうなら、いずれそのことで学ばされる日が来る。
反省はすれど、まだ悔い改めはしない。
自分の損得で反省する限りは。

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