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自分と他人の双方への善となることを行うことが、自我のない善行。

自分と他人の双方への善となることを行うことが、自我のない善行。
他人に依存した善行は、自分の行いを変革することはない。
自分への善という、変革の土台を育まないがために。
自分への善とはまず、その命に感謝すること、ひいては先祖供養のこと。
他人への依存や、ひとつの行いに専修することは、その土台を見失わせる行いを増やして行く。
文書にしたためたところで、都合よく解釈され付け足され、実践的な行いよりも、権力の維持体制を壊さないための教条主義を生む。
どのように手を尽くしても、そうなる。
これが末法。
死後の救い、生きている間の救い、自我はこればかりを求める。
生まれたことの救い、今度ばかりは過去の悪行の因果を善へと果たそうとする、命を与えた、または得た、魂を預かっていることの感謝。
そのために今も生かされて、自分に関わる霊魂を救う鍵を握る存在として行動できることの貴重さと偉大さの感謝と、せずにはいられないという、生きる努力。
1人の想いの力を大きく作用させる法の存在への気づき、それは1人の善行が多くの人の心を打つことと似ている。
縁起とは、一対一ではなく、一対多でもある事実。
これが時間と距離と物質の制限を受けない霊魂の世界では、大きく拡大すること。

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