外面のことしか見えなければ、人はそれを外面のみと誤解する。
心の動きにとらわれれば、人はそれを内面と呼ぶ。
しかし心に外面の実態がなく、外面を見て判断する人にしてみれば、心は存在しないものとなる。
心を内面と呼ぶものは、言い換えると思考の動きにすぎないものとなる。
思考ではとらえられないもの、それは外面も内面も変わらず、同じこと。
真の内面と外面は、思考からは生まれない。
それは真実から生まれる。
真実の探求は、意識を通り越す先にある真理を、意識に写すこと。
思考してそれを捉えようとせず、ただ真摯に誠心誠意に愛を持って行為すること。
愛を隠し、誠心誠意を隠す、これが自我の思考と知ること。