短所や欠点の分析は、その者をあらわすことがない。
なぜなら、それを克服するために成長した姿が、その者だから。
そのようにして、いかなる占いも学問も、その者をあらわすことがない。
自分を理解して成長したければ、克服し、より良くなるという機会を感謝して、生きること。
短所や欠点の分析は、そこに光を当てて、変えるためにある。
運命も現実も、作り出すものであって、漫然と受け入れて流されるものではない。
変化できる、それが命のすべて。
そこを変えている者にとって、短所や欠点の分析は、過去の姿となって行く。
だがこれが本性でもあるのだから、気をつけることになる。
真に受けず、過去として、しかし忘れず。
それを何がもたらしたか、なんであれそれを感謝する。
なぜならそれが言わば、生まれた理由でもあると言えるのだから。
現実から逃げるために、受け入れるのではない。
現実を生み出すために、受け入れる。
それはとのような現実も受け入れて、そのうけで変えて行くこと。
それが通じない現場では、苛立ちが生まれる。
だがその苛立ちの波は、間違った出方となっている。
正しくは、慈悲と慈愛であること。
なぜなら理由あって相手はそれが出来ずにいる。
だがどんな理由も乗り越えられるという、乗り越えた者としての姿を見ると、人には感じるものがある。
占いも学問も無力となる。
考える者とは、そのようなことを知る存在となる者という意味がある。