誰かが背負えないことは、他の誰かが背負うしかない。
だがそもそも背負う必要はない。
背中から荷物を降ろして、目の前に置くこと。
降ろしたとき、命を繋げてくれた背後のご縁、日々助けてくれた人々のご縁、それらも一緒に、目の前に置かれる。
それから手を胸に当てて、良心で何が大事かを見て、手をあわせて感謝し、次には最善の手を尽くすこと。
背負っていたら両手がふさがり、良心の胸に手を当てられず、手もあわせられず、最善を尽くすこともできない。
つまり、いかなる過去からも、人は逃げてはいけない。
それをすれば良心と感謝と最善からも逃げることになる。
自分のことだけ考えているとき人は背負うことになる。
そうではない姿勢を自分から見せて、その姿勢で人を助け、感謝し敬い、赦し、愛すること。
目先の欲や利益に溺れて人を罵倒して走り回り足で蹴るように仕事をするような生き方をしてはいけない。
まず背中から荷物を降ろして、何が大切かを見つめ直し、それを守ること。
たとそれが目先の欲や利益を失うとしても、また次があるだけのこと。
その目先の欲や利益が、人生の全てを背負って面倒を見てくれることはなく、またその力もなく、良心もない。
立場や力の弱いものが犠牲になってゆくだけのこと。