相手に誤解を与える言葉は、常に親しき中の礼節を欠いたとき。 しかしじつは誤解ではない。 礼節を欠くとは相手を軽んじること。 そのことが相手に伝わり、自分からその関係を壊したのだ。 その相手の反応を見て、悲しいとか言って反発したところで、壊した後になってそうではないと言ったところで、その時はそうだったということに変わりはない。 人は自分の至らなさから悲しみを生み出し、そこから学ばされ、二度と忘れまいと礼節を身につけて行くこともある。 どんな悲しみに対しても、自分を正当化してはならない。 これがわからない限り悲しみは続く、学べ気づけ忘れるなと何度もやってくる。
月別: 2018年10月
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失われた大切なことを復興するのは、まず相手にされず、悪く言われる。
失われた大切なことを復興するのは、まず相手にされず、悪く言われる。 なぜならそれを復興すれば、我が物顔の傍若無人が通じなくなることを恐れるから。 いったい誰が、何が、それを恐れているのか。
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じぶんが強いのは、そのぶん支えられているから。
じぶんが強いのは、そのぶん支えられているから。 強い者は周囲をいたわること。 同じ強さを求めて弱らせるのは、強い者の慢心でしかない。
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人が何かを悪として否定し批判するとき、自分自身は正しいと主張している。
人が何かを悪として否定し批判するとき、自分自身は正しいと主張している。 そしてそれはまず自省のない姿勢であり、その行いは正しくはない。
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相手の不足に殺意を持つほど腹を立てるなら、それだけ同じく不足な人間である自分にもあるそうした面を、振り返り内省せよ。
相手の不足に殺意を持つほど腹を立てるなら、それだけ同じく不足な人間である自分にもあるそうした面を、振り返り内省せよ。 しかしそのときはいつも忘れず、胸に手を当てて、良心を聞くこと。 良心を否定していいのではない、自我を良心と照らし合わせて、合一させた行動を目指そう。
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多勢について行くでもない、自分の考えを信じるでもない。
多勢について行くでもない、自分の考えを信じるでもない。 その両者の合間で、静かに状況を観察して、常識と良心で、判断すること。
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私はじゅうぶん人を助けたという者は、誰も助けられてはいない。
私はじゅうぶん人を助けたという者は、誰も助けられてはいない。 助けるということを私利私欲で誤解している。
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強く生きることから逃げたい者は、強く生きることと、失敗の結果を、混同する。
強く生きることから逃げたい者は、強く生きることと、失敗の結果を、混同する。 良い結果をもたらすのは失敗のあとにやってくる。 それには学びと成長と、自我との向き合いと素直さが求められる。らじめからある良心が隠れているのを表に出してゆく。 そこから逃げれば、その者は自分のことしか考えなくなる。
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他者の欠点を増長させるのは、私の過ち、
他者の欠点を増長させるのは、私の過ち、 私がその自身の欠点を反省し改善すれば、その流れは他者の欠点を改善する。 なぜなら自浄の働きの円滑さが広がってゆくから。
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変わるチャンスはなくていい、次に変わるところはどこにあるのかを素直に受けて学びたい。
変わるチャンスはなくていい、次に変わるところはどこにあるのかを素直に受けて学びたい。
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確実なことよりも可能性のことのほうが多い、我々に見えて来ないことはとても大きい。
確実なことよりも可能性のことのほうが多い、我々に見えて来ないことはとても大きい。 だから確実であることにこだわらず、いろんな可能性を思いやって生きると良い。
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強く優しく、不言実行、最後に言葉を問われれば、そのとき言葉を最後に。
強く優しく、不言実行、最後に言葉を問われれば、そのとき言葉を最後に。