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太陽に記憶がなくても太陽は愛を与え続ける。

太陽に記憶がなくても太陽は愛を与え続ける。 太陽の愛を受けている者は太陽を忘れることはない。 たまには忘れることもあるが、思い出して感謝する日が来なければ、その者は本当の意味で生きては行けない。 生きている限り、いつかはやってくる日。 その日を与えるのも太陽の愛。



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行動を止めるものが良心なら、止める。止めるものが自我なら、自我を乗り越えて進め。

行動を止めるものが良心なら、止める。止めるものが自我なら、自我を乗り越えて進め。 良心と自我の違いは、自分にしかわからない。 外の誰のことも思い浮かべず、内に住む神すらも思い浮かべず、自分の前後の過去未来のことも思い浮かべず、静かに自分と向き合い、わかるもの。 内に住むと思うものは、そのさらにうちの魂にこびりつくもの。 内に住まうと固く信じるのもまた自我。 それほどまでに良心と自我の違いは、盲目とは相容れない。





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人集めは、その人の上手くいっている人間関係その他もろもろを持ち寄らせ、好きなように利用する。

人集めは、その人の上手くいっている人間関係その他もろもろを持ち寄らせ、好きなように利用する。 そのままを利用できなければ利用できるように壊し、欲しい部分だけ取り上げ、あとは捨てる。 つまりは物扱いと変わらない。 しかしこれは物にも敬意がない。



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考えることよりルールを優先していると、いざというとき目の前の人を傷つけたり死なせることになろうともルールを優先する。

考えることよりルールを優先していると、いざというとき目の前の人を傷つけたり死なせることになろうともルールを優先する。 まるで筋肉が衰えているかのように、咄嗟に考えて動けない、鈍くなる。 善い未来は遠ざかり、見た目には運が悪くなっているように見える。 そして後悔だけが残る。 しかし実際は自業自得。


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相手を愛する私という人物は何なのか、その魂のは何なのか。

相手を愛する私という人物は何なのか、その魂のは何なのか。 この人物そして魂には、相手の人物そして魂を愛する権利があるのか、愛する存在としてふさわしいのか。 それを問い、そのようなものになるべく、乗り越え、学び、成長し、赦し、しかし忘れず、まるで大樹のような静けさで愛すること。 それができておらず愛を拒ませた相手のために涙すること。 それを悪人正機の一歩とすること。 内省とはそのようなこと。 そしてその相手を愛すること、それが気遣うということ、その存在に敬意と感謝をたむけること。 誰を相手にそれをたむけたいか、それが縁というもの。