良心を守るため受け入れないのは未熟を知るため。 未熟さを認めず受け入れないのは未熟を知らないため。
月別: 2018年5月
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死ねば仏となった人には短所よりも世話になったことを感謝する。
死ねば仏となった人には短所よりも世話になったことを感謝する。 であれば自分からまず我欲を死なせ、我が子が親孝行したいときに親は無しとさせないために、仏となるよう努めたいもの。 またそれが生きるうえでの向上でもある。
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左右が入れ替わるのは視点の変化。善悪が入れ替わるのは迷い。
左右が入れ替わるのは視点の変化。善悪が入れ替わるのは迷い。
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全てを柔軟に吸収する者に不向きなのは、腰を据えることである。
全てを柔軟に吸収する者に不向きなのは、腰を据えることである。 全てに相反するものがあり、万能なものは存在しない。
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良心から来る直感を、理屈で断じてはならない。
良心から来る直感を、理屈で断じてはならない。 あとになれば理屈でも通ることがわかるが、だからといって理屈を優先してはならない。 なぜなら良心を無くすと偏った理屈しか通らなくなるから。
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自我は自分を基準にする、自分が疲れていれば他者も疲れるべきと考える。
自我は自分を基準にする、自分が疲れていれば他者も疲れるべきと考える。
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尊大で傲慢な師のもとでは、弟子は自信を失う。
尊大で傲慢な師のもとでは、弟子は自信を失う。 盲信はそこからはじまるが、そのようにさせる師は、その非すら認めることがない、たいへんな未熟者である。
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背負う責任が少ない者は、変わり身が早い。
背負う責任が少ない者は、変わり身が早い。 それで成功する者ほど、周囲からかき集めるだけにすぎない。 責任から逃れて好き勝手に生きる道に逃れて、あがいている。 何も生み出さない、発展はない、まっとつな道ではない。 そのような者が他者の人生に関わってはならない。 また他者も、近づいてはならない。
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偽りの関係は、嘘をついて言いなりになるだけ。
偽りの関係は、嘘をついて言いなりになるだけ。 または誰かを言いなりにさせるだけ。 自分を偽る限り、それは避けられない。 苦手なこと、欠点、短所から、逃げようとする限り。 完璧であろうとする限り。 未熟さや間違いを認めない限り。 反省しない限り。 立ち向かわない限り。 人や世界に責任を押し付ける限り。 それらを乗り越えることが人生。
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師が弟子に真似るなと言うのは、複写機に原稿を乗せて実行しながら複写するなと言うようなもの。
師が弟子に真似るなと言うのは、複写機に原稿を乗せて実行しながら複写するなと言うようなもの。 それは、師が自分自身や教えの問題を修正せず他人事にしている。
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他人に任せるなら、他人を悪くいうな。他人を悪くいうなら、他人に任せるな。
他人に任せるなら、他人を悪くいうな。他人を悪くいうなら、他人に任せるな。 人は一人では生きては行けない。 だから他人を悪く言ってはいけない。 他人を悪く言うなら、他人から隠れて奪う道しかなくなる。
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片付けるべき問題は多いほどいい。
片付けるべき問題は多いほどいい。 瑣末な心配に気を配らなくなり、心が健全になる。 不健全になって自分自身が問題となって問題を生んではいけない。
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適材適所とは、その場に欠けていることを助けるために関われること。
適材適所とは、その場に欠けていることを助けるために関われること。 向き不向きではない。 得手不得手ではない。 損得ではない。 増して好き嫌いではない。
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伝統には他者を想う見えない理由があり、自分の欲望で見える表面だけ欲しがる者は、これを変えたがる。
伝統には他者を想う見えない理由があり、自分の欲望で見える表面だけ欲しがる者は、これを変えたがる。
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客観とは、自分が未熟であり完璧ではないという事実を見失わず忘れないこと。
客観とは、自分が未熟であり完璧ではないという事実を見失わず忘れないこと。 自分を駒のように好き勝手に使って良心を踏みにじらせることではない。 それは人として生まれたことの真実を見失う。 成長や開花とは、良心からの制限を外すことではない。 常に当事者として我が身として行動し、肌身として血肉として感じ取ってゆくことにある。 亡霊のようであったり、嘘をついたりでは、いけない。