感謝したい素晴らしいことは全ていずれ消えて無くなる。 感謝したものは流れて行くと心得よ。 有限であることは、素晴らしいことの現れ。 感謝を執着に変えて苦しんではならない。 ゆえに自分の都合に良いものだけ感謝することは、感謝ではない。
投稿者: klassfunktion
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真実から遠ざかり視野を狭めて偏らせるものは、表現ではなく、真逆のもの。
真実から遠ざかり視野を狭めて偏らせるものは、表現ではなく、真逆のもの。
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相手の痛みを知って助けよ、自分の痛みを耐え忍び乗り越えよ。
相手の痛みを知って助けよ、自分の痛みを耐え忍び乗り越えよ。
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勝利による平安を説くものは、必ず多くを不幸にして行く。
勝利による平安を説くものは、必ず多くを不幸にして行く。 なぜならその平安はほんのいっとき、よほど運が良くてもその者の命が枯れれば終わるだけのもの。 しかし真の平安とはそれらを超えた悠久。
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すいもあまいも、この血肉から生じている。
すいもあまいも、この血肉から生じている。 後悔ないとは、それを精一杯生きて、かつ執着しないこと。 そんな我が身が人として生まれ生きるとな何かを、生き方に探求し、それを歩むこと。
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事実に勝るもの、それは生き方に真実があること。
事実に勝るもの、それは生き方に真実があること。 輪廻転生はあるという生き方。 証拠はないとして否定する各個人の思考に生きるか。 それとも生死を真摯に見つめた先人たちの共通する符号の、その生き方の裏付けに事実を委ねるか。 生きていればこそ、どう生きゆるかがすべて。
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全てが分霊であれば、人生のお供が変れどそこにも我が魂の繋がりは乗り替わる。
全てが分霊であれば、人生のお供が変れどそこにも我が魂の繋がりは乗り替わる。 我が身そのものが魂の器であるように。 案ずるな。敬い変わらずそこにお供を見よ。 同じことなのだ。 等しく愛せるのだ。 それをお供と分かち合う身であるから、ゆかりあるお供に伝えんと生きるのだ。
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人には二つの繋がり方がある、ひとつは同調、もうひとつは伝達。
人には二つの繋がり方がある、ひとつは同調、もうひとつは伝達。 伝達は必ずしも同調しなくてもいい、理解さえあれば。 同調は理解がなくとも起こりうる、お互いの思い込みが実は異なっていても。 同調と伝達の共存は良心の分別から生まれる。 使い分けるのだ。
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百花繚乱よりも一輪は、その有り難く貴重な大切さがよくわかる。
百花繚乱よりも一輪は、その有り難く貴重な大切さがよくわかる。 その一輪が集まり百となる時にこれを忘れないよう、質素であることが懸命。 たとえ恵まれているとしても、一輪に感謝することが。 しかし実はその一輪を取り巻くもの全てが、その一輪を生かしている。 百花繚乱よりも質素さに囲まれた者のほうが、この真実を感じ取る。 だが百花繚乱も雑草も等しく生き生きとするに変わりない。 百花繚乱も質素さも等しく感謝して、比べることに取り込まれないことが一輪として美しい。
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自分の生き方がやがて国となる。
自分の生き方がやがて国となる。 どの国の者かを語る時はそのような気持ちで。
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自分だけや特定の相手だけ見れば、やがて欠点ばかり見えてくる。
自分だけや特定の相手だけ見れば、やがて欠点ばかり見えてくる。 なぜなら全ての多くの人に共通する内なる良心から焦点が合わなくなり、個別の欠点に焦点が合い始めるから。 しかし特定の相手だけであってこそ内なる良心の焦点が育まれる関係がある。 それは伴侶である。
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自我は身を守るが、それだけでは視野が狭まり、いらない恐怖を膨らませる。
自我は身を守るが、それだけでは視野が狭まり、いらない恐怖を膨らませる。 赦す広い視野と、乗り越える勇気と強さが、不可欠。
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どんなに明るく美しく快いと思える志も、自省という自愛を持たず自我に生きるものは人を責める闇の道具にする。
どんなに明るく美しく快いと思える志も、自省という自愛を持たず自我に生きるものは人を責める闇の道具にする。
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何故の先に否定が来れば、それは答えではない。
何故の先に否定が来れば、それは答えではない。 受容と理解と肯定の先に、答えがある。 すべては理由あって成り立つ。 肯定は何故の答えを出すために乗り越えた成長の先にある。 否定にはそれがない。 それがない尊大な勝利は独りよがりになり、他者には適用されない。 尊大な勝利を正義とすれば、感化されたものから、こうした大切なものを奪い、糧とするようになる。 それで生きて行けることをまた正義とする。 大切なものを欠かせばそれはいつまでも埋まらない穴となる。 そこに延々と続く奪う糧を求め続ける。 尊大な正義のもとに。 命のなにか大切な根本を欠かし続けながら。 この世界はそれを学ぶためにある。 この世に来て、なおもそれにあらがうなら、いずれそのことで学ばされる日が来る。 反省はすれど、まだ悔い改めはしない。 自分の損得で反省する限りは。
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相手のことを悪く言ううちは、それは自分自身の問題である。
相手のことを悪く言ううちは、それは自分自身の問題である。