必要性と時間が合わさり、人は学ぶ。 不要であったり、大切な物事の時間を犠牲にしてまで無理をして学んでも、活かされることは少なく、多くを殺すことになる。
投稿者: klassfunktion
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新たな知恵や知識を学ぼうとせず、他者の知恵や知識の欠点ばかり探そうとする者は、慢心の塊。
新たな知恵や知識を学ぼうとせず、他者の知恵や知識の欠点ばかり探そうとする者は、慢心の塊。 少しばかりの利益を与えて、多くの利益をたくらむ、自己中心的な者。 結果として常に害悪をもたらすため、徐々に遠ざけること。
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責任を嫌う者に、大役を任せてはならない。
責任を嫌う者に、大役を任せてはならない。 いくら才があるとしても、虚空で回りたがる立派な歯車は、満足な役を果たさない。
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不届き者や不心得者を思い通りにしようとしてはならない。
不届き者や不心得者を思い通りにしようとしてはならない。
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受けた被害から学んだら、学びに変えられた自分自身の命の御縁に感謝すること。
受けた被害から学んだら、学びに変えられた自分自身の命の御縁に感謝すること。 学びになったからと被害を正当化することはできない。
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朗らかに対立する二人を見て、不安がる必要はない。
朗らかに対立する二人を見て、不安がる必要はない。 ひとつの山を愛していて、正反対の方角から見えたその山の姿を、お互いに伝え合っているだけのこと。 だがもしこの二人が朗らかでなければ、その両者ともに山を愛さず、自我の都合に利用しているだけ。 その両者の言葉に耳を傾けたり、どちらが勝者かなどと、気にしてはいけない。
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不満と愚痴ばかりの弱者は、自分で改善しない、受け入れない。
不満と愚痴ばかりの弱者は、自分で改善しない、受け入れない。 そして常に他者が悪者だと話す。 弱者とは自分自身の誠心誠意を弱くする者。
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その地域に根ざすとは、関わること。
その地域に根ざすとは、関わること。 その地域に執着することではない。
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お山の大将が子分よりも強く不眠不休で元気なのは、子分から給金などを集め受けているから当然のこと。
お山の大将が子分よりも強く不眠不休で元気なのは、子分から給金などを集め受けているから当然のこと。 逆に取られる子分の側は常に弱まり、良心で分別して離れる力も、そこから逃れる力も奪われる。 真の大将は周囲が与えられるよう最大限の配慮をしているなら、周囲が活躍して自分は一番下になる。 強権で強いても、全力は出ない。 むしろ束縛から、弱体化し、強みが出ない。 そして都合よく中途半端に使われるだけにしかならない。
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財布を別に分ければ、お互い隠し合う形となり、明朗会計はできない。
財布を別に分ければ、お互い隠し合う形となり、明朗会計はできない。 財布を1つにしても、片方だけが管理するなら、これも明朗会計にはならない。 お互いの良心が大事。
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恵まれているのではない、ただ、良心と誠意で頑張れば、相応の結果と評価がついてくるだけ。
恵まれているのではない、ただ、良心と誠意で頑張れば、相応の結果と評価がついてくるだけ。 しかしそれも、場所によって態度が変わるなら、その恵みが違う場所まで行き届くことはない。 おごり、了見の狭さは、そこから来る。 その変わる態度に良心はない。 受け継がれたものを活用するのみで、後世に伝え残すことができない。 栄枯盛衰は、そこから来る。 絶え間なく続く真実とは、それらを欠かさずにいたから続く。 真実を歪めて形ばかり続かせても、もう中身は別物であり、続いているとは言えない。
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どの種の成功者に学ぶことも正解ではない。
どの種の成功者に学ぶことも正解ではない。 自分の良心を灯りとして、進む以外にない。 他者に肩代わりはできない。
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不幸が起こりませんようにと祈願しても、意味はない。
不幸が起こりませんようにと祈願しても、意味はない。 起こらないよう手を尽くすこと。 祈願するぶんだけ、それをしない。 そのぶん他者が不幸を肩代わりする。 最後まで逃げ切っても、周囲は次々と倒れてゆく。
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住めばそこが自分の家となる。
住めばそこが自分の家となる。 旧家に戻ればそれも自分の家となる。 今この習慣を自分の家とできない者は、今を受け入れず、過去に生きていて、段差を乗り越えることを嫌い、成長を拒んでいる。
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とんなに甘い者も、成功して出世すれば必ず慢心する。慢心は甘みの極み。
とんなに甘い者も、成功して出世すれば必ず慢心する。慢心は甘みの極み。 行動に隙があり注意がなくなり、不幸を起こす。 その瞬間、甘みは苦味、辛味、そして無味へと変わってゆく。 良いことがあれば、注意すること。 それは誰かがそうして仕組んでいるのではなく、自分が慢心する人間だから。 陰陽は自分にある。 甘いことと謙虚さは異なる。 厳しさ、律すること、それを知る者は、負けても不幸を産まない。 回復し学ばされる傷を負うだけ。 そこだけは護られる。 それがないと、取り返しのつかない後悔を生む致命傷を負う。 命に関わる危険はどうあれ回避し、それ以外は挑戦してゆくよう、目を光らせることで、護られる。 大金を得たこと、成功したこと、それが本人の正しさの証明とはならない。 それは慢心であり、命に関わる。 さもないと、恐れて挑戦しないだけとなり、他者の失敗を恐れて責め立てて、保身だけを考える。 しかしそこに保身の力はない、いつも受け身で、もらうことしか考えない。 それでは何も産まない、育てない、成長もない。