偏見は本物とニセモノ、真実を見極められない。
投稿者: klassfunktion
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宗教家は自身の探求にしか目が向かない。
宗教家は自身の探求にしか目が向かない。 それを自他への慈しみに変えようとしても叶わない。 現実に飛び込むことなくして、それは叶わない。
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すべての組織はみな同じ。
すべての組織はみな同じ。 問題の出方、その乗り越え方、内部の人間の傾向、いずれも。
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例え話や借り物の言葉は、自我に囲い込む行為。
例え話や借り物の言葉は、自我に囲い込む行為。 自分で認知できるものだけでかたまっている。 手放せ。 そのまことしやかな威厳を感じさせる遠回しで尊大な物言いは迷いごとにしかならない。
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曖昧な関連付けと具体性を欠いた説明は、すべての働きをその説明の論理の手柄としたがる、自我の作為がある。
曖昧な関連付けと具体性を欠いた説明は、すべての働きをその説明の論理の手柄としたがる、自我の作為がある。
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他力の教えが完璧でも、それを受ける人間は完璧ではなく、間違って受け止めたり、間違って利用したりする。
他力の教えが完璧でも、それを受ける人間は完璧ではなく、間違って受け止めたり、間違って利用したりする。 成長やの努力が生きるということ。 自力行。
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複雑さを通ろうとする、なぜならそれらを借り物ではなく自分のものと自我のために握るから。
複雑さを通ろうとする、なぜならそれらを借り物ではなく自分のものと自我のために握るから。
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剥がれ落ちるときの刺激は、やや面倒なもの。
剥がれ落ちるときの刺激は、やや面倒なもの。 着飾ることも、やや面倒なもの。 どちらも楽しめるのは、そこに感謝と未来への希望があるとき。
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継続とは、変化と改革と革新と成長と学びの謙虚さを生きることにある。
継続とは、変化と改革と革新と成長と学びの謙虚さを生きることにある。 変化なき継続を自我の糧にすることではない。 分野と体制は異なる。 信仰と宗教の違いがそこにある。
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試練を与える者には感謝すること、何故ならそれを乗り越えるたび成長できるから。
試練を与える者には感謝すること、何故ならそれを乗り越えるたび成長できるから。
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批評は善悪表裏、正義か悪かを価値観とし、それらの裏に通じる真実を知ることはない。
批評は善悪表裏、正義か悪かを価値観とし、それらの裏に通じる真実を知ることはない。 それに気づくまで続く。
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課題から逃げることは、それを石に刻み残すようなもの。
課題から逃げることは、それを石に刻み残すようなもの。 変化を嫌い、繰り返し深く刻まれ、その遺恨が、いわれのないことも刻むことになる。
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外面のことしか見えなければ、人はそれを外面のみと誤解する。
外面のことしか見えなければ、人はそれを外面のみと誤解する。 心の動きにとらわれれば、人はそれを内面と呼ぶ。 しかし心に外面の実態がなく、外面を見て判断する人にしてみれば、心は存在しないものとなる。 心を内面と呼ぶものは、言い換えると思考の動きにすぎないものとなる。 思考ではとらえられないもの、それは外面も内面も変わらず、同じこと。 真の内面と外面は、思考からは生まれない。 それは真実から生まれる。 真実の探求は、意識を通り越す先にある真理を、意識に写すこと。 思考してそれを捉えようとせず、ただ真摯に誠心誠意に愛を持って行為すること。 愛を隠し、誠心誠意を隠す、これが自我の思考と知ること。
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すべてを自分の命の糧とするなら、感謝はすれども恨みはしない。
すべてを自分の命の糧とするなら、感謝はすれども恨みはしない。 良いところも忘れはしない。 悪いところは正すか許すかすることになる。 それでもダメなものは仕方がない。 万事を尽くしたあとの結果で、はじめてわかる。 尽くさず逃げ惑う者に正義は無い。
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いま手にある知識とは、自分の欠点や短所を補うものではない。
いま手にある知識とは、自分の欠点や短所を補うものではない。 新たな知識を学ぶか生み出す謙虚さがそのためにある。