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すべてを自分の命の糧とするなら、感謝はすれども恨みはしない。

すべてを自分の命の糧とするなら、感謝はすれども恨みはしない。 良いところも忘れはしない。 悪いところは正すか許すかすることになる。 それでもダメなものは仕方がない。 万事を尽くしたあとの結果で、はじめてわかる。 尽くさず逃げ惑う者に正義は無い。



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伝統が続くのには、力による慣例化、真実による感化、執着による習慣化がある。

伝統が続くのには、力による慣例化、真実による感化、執着による習慣化がある。 それらの土台であり、それらよりも長い継続がある、それは命の繋がりにある。 自主的な継続がなければ、そこに命の繋がりは隠れる。 体制維持の恩恵に預かる継続は、真実による感化とは言えない。 普遍の真理に絶対の形はない。 それを見失うのが自我の分別。 それを見失わずにいることが継続。 それは各自の態度のこと。 ほとんどの人が真実の感化を求めず自我に生きる態度の現代において、まず真実の感化が伝統を続けさせることは難しい。 不要な慣例化や習慣化が多くを埋め尽くし、真実は雲隠れする。 ここまで続いたからと、これからも続くと、あぐらをかいてはいけない。 その時点で自我のねぐらとしての役割を求めている。 その継続を求めて、さらに真実は雲隠れする。 そこから離れてもなお継続するものに真実があるとも言える。 ゆえに破壊も必要なこともある。 果たして自分の継続はどんな性質なのか、見極めると良い。


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それが自分の信条とはならず、多くの参考のうちの一つとなったなら、それを活用していることになる。

それが自分の信条とはならず、多くの参考のうちの一つとなったなら、それを活用していることになる。 信条にしているうちは、それを盾にして隠れているに過ぎない。 なぜならばその本質を見抜く観点を自分から盲目にしているからである。 これを盲信と呼ぶ。 宗教と信仰の違いはそこにある。