本当に大切なことは教えることができない。 何故なら皆それは生涯の学びであり実践と成長の過程にあるから。 完璧ではなく、しかも個人的なことであるから、他者に介入できない。 しかし個人的ではあっても独自性でもない。 本当に大切なこととは、皆、行き着くところは同じこと。 つまり自分を正義にして他者を批判するものでもない。 意図的に作り出すこともできない。 それぞれの人生で起きる全てがそのための道である。 義務から逃げてはならない。 呪ってもいけない。 好き嫌いで断罪もできない。 理想を押し付けてもいけない。 思い通りが正しいと決めつけてもいけない。 それを通じて学ぶ自分の命に感謝すること。 だがそれは、学びを与えてくれた相手の行為が間違ったことなら、その間違いが正しいということではない。 その間違いだけが相手の全てでもない。 もしそうなれば、違いを見極められなくなる。 それは学びではなくなる。 その相手もまた学んでいる最中。 間違いはどうしても起こるもの。 学びへの感謝の結果として受け継がれてきた伝統と、誰かの利益のために意図的に広められた習慣との違いもそこにある。